Google My Map 「江戸東京医史学散歩」:東京大学本郷キャンパス医史跡案内
「ベルツの庭石と相良知安先生記念碑」音声ガイド
「相良知安先生記念碑」の場所の移動
建立:昭和10年3月 池之端門内を入った小高い崖上(石黒忠悳題額 入澤達吉撰文)
移設:平成19年3月 龍岡門の右手に復元された鉄門を入った右手、新病棟の前。
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♪本郷台と上野は坂で、神田とは橋でつながっています。本郷・東京大学周辺や順天堂医院界隈を歩いていると、その感じがよくわかります。
♪最近は、交通機関が発達し、開発も進んで、多くの川が暗渠となりましたが、もともと江戸には、たくさんの小川が流れていました。もちろん木々もたくさんありました。わたしが、小学生の頃(昭和30年代)まで、駒込周辺にも畑がありましたし、庭から土手を降りて、山手線(当時、省線)の線路際まで行くこともできました。一日に運行される電車の本数も、数えるほどでした。
♪都立染井霊園付近に端を発し、上野不忍池まで続いた藍染川(あいぞめがわ)も暗渠となりました。この不忍池がある上野山一帯は、明治のはじめに、相良知安(さがら・ともやす[ちあん] 1836-1906 ドイツ医学制度制定の功績者)と、その下で働いた石黒忠悳(いしぐろ・ただのり 1845-1941 陸軍軍医)によって大学東校(東京大学医学部の前身)となるところでしたが、ボード ウァン(Bauduin, Anthonius, F. 1820-1885 オランダの陸軍軍医)の意見によって公園として残されることになりました。そして、東京大学医学部は、現在の本郷の地(大聖寺藩の上屋敷跡)におかれることになったのです。
♪東京大学の龍岡門を出て左へ折れると無縁坂へでます。森鴎外の『雁』に登場する無縁坂です。雨の降るまだ昔の面影を残す無縁坂を、ぶらぶら降りてみます。不忍通りに抜ける手前の路地を左に曲がると、東京大学池之端門があります。この門を入った前の小高い丘の上に「相良知安先生記念碑」(昭和10年<1935>3月入澤達吉選)がありました。題額は石黒忠悳によります。記念碑のまわりは、落葉が堆積しており、古いものが大切にされていない様子です。
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♪この「相良知安先生記念碑」を見つけるのには、大変、苦労しました。構内中を探しまわり、池之端門の看護婦寮があった崖上のフェンスの際で発見しました。赤門から入って探していたのですが、まさしく、外れにありました。
♪かつては、この「相良知安先生記念碑」がある辺りからは、上野の森がよく見えたのでしょうが、いまでは、ビルばかりが目に入ります。相良知安先生は、この光景をどのように見ているのでしょか?
(平成14年6月30日 記)(平成19年8月9日 訂正)
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平成19年3月移設
♪この記念碑は、平成19年3月に、医学部の創立150年を記念して再現された鉄門を入った右手奥に移設されています。新病棟の入り口の車道を挟んだ隅っこです。近くには、ベルツの庭石も置かれています。
(平成29年6月21日 追記)
参考文献
堀江幸司 「相良知安先生記念碑」と「ボードワン博士像」-東京医学校と上野恩賜公園
「医学図書館」1988;35(3):184-191.