♪平成14年8月15日(木)、中村明男氏(日本橋・榛原社長、三宅秀の曾孫)を誘って旧東京医学校本館(現在の東京大学総合研究博物館小石川分館:文京区白山3-7-1)へ行ってきました。
♪地下鉄・都営三田線の白山駅のA1の改札口で待ち合わせて、新白山通りを渡り、白山下交差点から蓮華寺坂を登り御殿坂を降りて、小石川植物園(東京大学大学院理学系研究科附属植物園)に向かいました。(註1) ♪旧東京医学校本館(昭和45年6月17日重要文化財に指定)は、小石川植物園の一番奥の日本庭園内に移築されています。明治村といった感じです。 ♪東京大学総合研究博物館小石川分館としてリニューアルされた建物の受付で、記帳の際に、中村明男氏が三宅秀の曾孫に当ることをお話すると、「三宅コレクション」の展示を担当された藤尾直史先生(総合研究博物館情報メディア研究系)が案内してくださいました。お話によると、この建物は、リニューアルされる前は、学術情報センターとしても使われていて、リニューアルに際して、天井を剥がして、梁が見えるようにしたとのことでした。この空間のなかに、三宅秀、宇野朗、ベルツ、スクリバ、森鴎外、三上参次がいたことになります。
♪その足で、東京大学本郷キャンパス内にある東京大学総合研究博物館で開催中の「新規収蔵展示 三宅コレクション展」に向かいました。千川通りでタクシーに乗ったのですが、共同印刷の前を通ったときに、中村明男氏から、三宅家は、この共同印刷の裏手辺りにあったとのお話を伺いました。(註2) ♪東京大学総合研究博物館は、赤門を入って右手の奥にあります。「三宅秀博士旧蔵コレクション」の展示のうち渋江長伯(関連連載第19回、第20回)のコレクションとされる『植物標本』やシーボルト関連の展示物がとくに興味を引きました。また書棚に収められていた三宅文庫のうち『日記』にも大変興味を持ちました。 ♪見学を終え、医学書院ならびの「カレーとコーヒーの店」(本郷3丁目交差点近く)でお昼の食事をしながら、『文久航海記』(第2版復刻版 三浦義彰著 篠原出版 1988)や三宅家の家系図を見せていただきました。『文久航海記』の著者の三浦義彰氏(千葉大学名誉教授)は三宅秀の孫に当る方です。家系図は、いずれ日本橋の榛原をお訪ねしたときに複写させてくださるとのことでした。 ♪中村明男氏と別れたあと、本郷通りの古本屋さんに立ち寄り、帰りました。 (註1)旧東京医学校本館(現在の東京大学総合研究博物館小石川分館)へは、小石川植物園を通らなくても、千川通り側の入口から直接入ることもできます。 (註2)三宅秀の伝記『桔梗』で調べたところ、三宅秀の住所は旧小石川区竹早町81番地(現在の文京区小石川4丁目)であることがわかりました。 (平成14年8月16日 記)(平成29年7月24日 追記) |