場 所:東京都文京区向丘2丁目37-5(高林寺)
交 通:地下鉄・南北線(本駒込下車)
参考文献:本郷・駒籠髙林寺:緒方洪庵追賁碑と節齋岡先生碑 堀江幸司 『医学図書館』
♪緒方洪庵の墓域には、中央に「侍醫兼督學法眼緒方洪庵之墓」、左に「緒方洪庵先生夫人億川氏之墓」の墓碑があり、右に「追賁碑」が建っています。また、墓域の左手の隅に、「緒方洪庵」の説明板(石板)が置かれています。
♪「追賁碑」の碑文は、明治42年(1909)6月8日に、森林太郎(鴎外)によって書かれたもので、明治45年(1912)7月10日に建立されています。その50回忌には、万延元年(1860)大坂の適塾に学んだ今村有隣(蘭学者・フランス語学者 1844-1924)も参会しています。今村有隣の墓は、染井霊園にあります。水原秋桜子の墓の近くです。
参考:Google My Map : 東京都染井霊園:医家墓所案内
♪「侍醫兼督學法眼緒方洪庵之墓」の墓碑は、慶應3年(1867)3月に建てられました。その墓石を刻んだのが、谷中の石屋(御碑銘彫刻師)であった廣瀬群鶴(ひろせ・ぐんかく)(号は廣群鶴 こう・ぐんかく)です。
♪この廣群鶴は、同じく高林寺にある岡節斎(侍医 明和元年<1764>-弘化5年<1848>)の碑(節斎岡先生碑)も刻んでいます。明治12年(1879)に建てられた碑は、墓道を挟んで、緒方洪庵の墓の反対側にあります。碑文の中に「駒籠里高林寺」の文字も見えます。
♪岡節斎は、岡麓(おか・ふもと 1877-1951 アララギの歌人)の先祖で、幕府医官であった岡家歴代の墓碑が、墓地の右手の一番奥まった所に、まとめられています。数が多いので、墓域は、ちょっと窮屈な感じもしました。
♪岡麓は、明治32年(1899)、本郷金助町(現在の文京区本郷3丁目12、13番あたり)に家を新築した際に正岡子規を招いています。子規庵歌会(根岸短歌会)に参加してのことでした。
♪高林寺墓地には、蘭学と漢方の大家が同居していることになります。墓地の上は遮るものがありません。雲の浮かぶ青い空を見ていると、なにか東洋的な時間の流れを感じます。
(平成14年7月7日 記)(令和元年10月5日 図追加)(令和3年2月14日 写真を追加)