①創業地:文化3年(1806) 日本橋区通壱丁目壱番地(現・中央区日本橋1丁目5番あたり)
②昭和5年(1930) 中央区日本橋2丁目7-6へ新築移転
[平成23年(2011) 日本橋2丁目再開発のため仮店舗(中央区日本橋2-8-11 旭洋ビル2F)で営業]
③平成27年(2015) 中央区日本橋2-7-1 東京日本橋タワーへ新築移転
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♪竹下夢二が描いた団扇や、雁皮(ガンピ)という植物からつくられた雁皮紙で有名な日本橋の「榛原(はいばら)」の創業は、文化3年(1806)のことでした。今年、平成18年(2006)は、創業200年の節目の年となります。
♪「はいばら(榛原)」の初代佐助は、紀州栖原村(すはらむら)〔現在の和歌山県湯浅町〕の出身で、須原屋茂兵衛に年季奉公に上がり、年季あけに独立して、和紙、墨、薬などを扱う小間紙屋を営みました。
♪須原屋は、杉田玄白の『解体新書』(安永3年・1774)を出版した江戸の東武書林(室町二町目)として知られています。
『解体新書』(内藤記念くすり博物館 収蔵品デジタルアーカイブ)
♪佐助は、はじめ、通四丁目にあった金花堂(書物問屋)を買い取り、文化3年(1806)、通一丁目にあった「榛原」(小間紙)を買い取ります。この通一丁目の日本橋のたもとが「榛原(はいばら)」の創業地ということになります。現在の町名でいうと中央区日本橋一丁目7番地のあたりで、近くには、「西川(にしかわ)」(寝具)があります。
♪『築地八丁堀 日本橋南之図』(嘉永2年 1849)によると「通(とおり)」には通一丁目、同二丁目、同三丁目、同四丁目とあります。この「通」は、現在の日本橋交差点から銀座4丁目交差点方向に続く「中央通り」にあたり、西川(寝具)、黒江屋(漆器)、山本山(銘茶)などの名店が、江戸からののれんを守っています。
♪「榛原(はいばら)」が、日本橋のたもとから現在地に移転、新築したのは、関東大震災後の昭和5年(1930)のことで、当時としては、大変モダンな鉄筋5階建てのビルでした。
♪連載第134回で取り上げた古書店「古書 街の風」から『目録第11号』(平成18年4月)が送られてきました。なにげなく頁を繰っていると、『日本橋榛原商店新築記念』(袋付2枚)(Post Card)が掲載されていることに気づきました。早速、購入しました。
♪このPost Card(絵葉書)は、「榛原(はいばら)」の六代目社長で、三宅秀(みやけ・しゅう〔ひいず〕)(1848-1938)の曾孫にあたられる中村明男氏に見せていただいたことがありました。
♪中村明男氏とは、白山(はくさん)にある東京大学の小石川植物園や本郷の医学部構内を歩いたことがあります。平成14年(2002)8月15日(木)の夏の暑い日でした。園内の日差の強さが、昨日のように思い出されます。三宅秀にゆかりの旧東京医学校本館の建物のなかに入り、展示されている診察器具などを見て回りました。(改訂版・連載第20回、第21回、第22回)
♪その中村明男氏が、平成18年(2006)3月6日(月)に亡くなられました。『古書目録』のなかに榛原(はいばら)の絵葉書を発見したときに、いつも物静かにお話をされた中村明男氏の笑顔が瞼に浮かびました。『日本橋榛原商店新築記念』の絵葉書は、中村明男氏からの来信のように感じられました。
(平成18年5月1日 記す)(平成29年7月30日 訂正・追記)