場 所:玉樹寺:京都市下京区中堂寺西寺町
電 話:075-801-6052
句 碑:「産諭の月光雲をはらひけり」
♪水原秋桜子の句碑(『産論』句碑)が京都の玉樹寺(ぎょくじゅじ)にあることは、『京の医史跡探訪』(参考文献1)で知りました。
♪7月12日(土)は、研究大会の初日だったのですが、午後一番の発表である山崎茂明氏の「医学情報サービス大会を振り返って」と題する第20回大会記念講演を聞かせていただいてから、玉樹寺に向かうことにしました。
♪玉樹寺は、五条通の五条壬生川交差点を北へ上がり、一筋目の路地を右折して、その左手(北側)にありました。
♪あらかじめ訪問したい旨を連絡しておいたので、インターホンで来意を告げると、すぐに潜り戸を開けてくださいました。
♪水原秋桜子の句碑は、山門を入った左手に置かれており、本堂の前庭は、手入れがよく行き届いていました。また、句碑の向かい側には、「日本近代産科学のみなもと」の石碑(賀川玄悦顕彰碑)が建てられていて、その斜め後方には、賀川子玄(玄悦)の墓を中央に、左に賀川子啓、右に賀川子全の墓がありました。
♪前庭は、そんなに広くはないのですが、賀川玄悦の墓石、「日本近代産科学のみなもと」の石碑、水原秋桜子の句碑が、バランスよく配置され、「賀川玄悦の世界」を形作っているように思えました。
♪水原秋桜子の句碑は、水原豊(秋桜子)と東大産婦人科医局で一緒に学んだ丸山正氏の主唱によって、昭和53年(1978)5月8日に賀川玄悦の没後200年を記念して建立されたものです。
♪丸山氏は、ベルツの生誕地に秋桜子の句碑(注記1)(参考文献2)が建てられているのをみて、産科の鼻祖である賀川玄悦(かがわ・げんえつ)(1700-1777)の墓の近くにも、秋桜子の句碑があればと願い、その建立の実行委員長を『京の医史跡探訪』の著者である杉立義一氏がつとめたのでした。
♪青石の上が三角になった自然石に句は秋桜子の自筆で刻まれていました。碑石は、杉立氏が賀川玄悦の郷里である彦根の近くを流れる愛知川の自然石を取り寄せ、山科の渡辺石材店に刻字させたものだそうです。
「産諭の月光雲をはらひけり」(裏面:玄悦先生の二百年祭に当り有志これを建つ)
♪光悦寺の秋桜子の句碑はブロンズでしたが、玉樹寺の句碑は自然石に句が刻まれています。どちらの形にも、建立した方々の思いが込めれ、風景によく調和しているように思いました。
♪本堂前の縁側に座って、お寺の方と少しお話をさせていただきました。京都でも、ビルのなかに埋まったような近代的なお寺がでてきたそうで、玉樹寺のあたりもビルが立ち並び、寺町の趣が薄れつつあるとのことでした。
(参考文献1)
『京の医史跡探訪』(杉立義一著 京都 思文閣出版 1984)
(注記1)ベルツ生誕地の秋桜子句碑:「君によりて日本医学の花ひらく 秋桜子」
(昭和43年<1968>8月31日 石橋長英建立)(ビーティッヒハイム・メッター公園句碑)(南ドイツ、シュワーベン地方ビーティッヒハイム市立メッター公園内)
(平成15年8月4日 記)(平成29年10月31日 追記)