墓石の場所:染井霊園内(外人墓地)
住 所:東京都豊島区駒込5-5-1
♪平成22年(2010)10月2日(土)の午後,染井霊園の外人墓地にタムソン夫妻のお墓を探しに行ってみることにしました。昨日までの雨は止み,やっと,秋らしい気配が感じられる気候になってきました。
♪職場からの帰り,地下鉄都営大江戸線の春日駅で,都営三田線に乗り換え,巣鴨駅で下車。まず,旧中山道(巣鴨地蔵通り商店街)沿いにある「とげぬき地蔵尊」(高岩寺)にお参りしてから,「お地蔵さま」の山門の前の路地を入ったところにある青森屋さんで,いつもの「シソ漬にんにく」を買いました。ここの漬物は,国産で,おいしくて,もう何年も通っています。お店のおばさんの応対にも,なかなか,味があります。
♪今日も,「お地蔵さま」の境内の横の路地にあるカレーうどんの古奈屋さんの店前には,行列ができていました。ここが本店なのですが,小さなお店です。ずいぶん,お洒落に改装されていました。最近では,東武百貨店(池袋東武レストラン街スパイス)や六本木ヒルズなどにも支店ができるほどの人気店となっているようですが,残念ながら,まだ,古奈屋さんのカレーうどんを味わったことはありません。なにしろ,いつも,順番待ちの行列が,路地を埋めているのです。
♪古奈屋さんの前の路地を抜けると,白山通りに出られます。そこの横断歩道を渡ったところに,各地から「お地蔵さま」にくる観光バスが止まる駐車場があります。
♪江戸時代には,もちろん,白山通りはなかったわけですから,駐車場のところまでが高岩寺こうがんじの敷地でした。白山通りができたことによって,高岩寺の境内が分断され,飛び地となった場所を,「高岩寺駐車場」として利用しているようです。その駐車場の裏手一帯が,染井霊園です。
♪白山通りは,関東大震災後に旧中山道のバイパスとしてつくられた道路です。「お地蔵さま」の境内は,旧中山道(巣鴨地蔵通り商店街)と白山通りに挟まれているわけです。
♪森鴎外が,池田京水のお墓を探しに,染井共同墓地に足を運んだのは,大正5年(1616)1月10日のことでした(関連 第29回 第30回 第31回 第32回)。タムソンが亡くなったのは,大正4年(1915)のことですから,森鴎外は,その翌年に,染井霊園を訪ねたことになります。
♪そのころの染井共同墓地の周辺は,染井吉野桜の木々とともに,緑の多い場所でした。墓地の裏には,巣鴨御薬園跡(関連 第19回,第20回)が広がり,藍染川の水源の長池の面影も,まだ,色濃く残っていたと思われます。森閑とした墓地の姿を想像しながら,染井霊園の巣鴨門から墓道を進みました。外人墓地は,墓道をまっすぐ進むと右手にあります。
♪外人墓地のなかで,タムソン夫妻のお墓は,すぐに見つかりました。ワイリック女史のお墓(関連 第66回 第67回)の並びにありました。外人墓地の区画に入る入口の右手にワイリック女史,左手にタムソン夫妻の墓石がありました。
♪染井霊園の外人墓地の区画は,青山霊園の外人墓地のように広くはなく,埋葬されている方も,そんなに多くはないようです。
♪キダー女史(Anna H. KIDDER)(1840-1913)(米国バプテスト教会宣教師)(駿河台女子英和学校)のお墓(宣教師アンナ エッチ キダー之墓)や,キング技師(Archibald KING)(1848-1886)(英国人・造船 工部省工学寮 石川島平野造船所技師)のお墓(SACRED TO THE MEMORY OF ARCHIBALD KING)も,この外人墓地内にあることがわかりました。タムソン夫妻のお墓をお参りさせていただきながら,染井霊園に眠る外国人の方々についても,調べてみたいと思うようになりました。
♪タムソン夫妻のお墓には,次のように刻まれていました。
表 面
生必死雖者我信曰蘇耶
DAVID THOMPSON
BORN 1835-DIED 1915
MARY PARKE
HIS WIFE
BORN 1841-DIED 1927
DAVID THOMPSONとMARY PARKEの墓碑
裏 面
我□者命生我者生復曰蘇耶
Mamie
♪タムソンの妻となったメアリー・パーク(Mary E. Parke)(1841-1927)は,明治6年(1873)に長老教会派遣の宣教師として来日し1),翌明治7年(1874)5月12日にタムソンと結婚。築地居留地内に新榮女学校(B六番女学校)(女子学院の前身)を設立し,布教と教育に尽力しました。
♪タムソンは,明治9年(1876)8月1日に東京築地居留地の42番地(495坪)を金768円64銭で借り受けています。(国立公文書館デジタルアーカイブ:『東京築地居留地調』の25頁を参照)
♪明治11年(1878)9月20日には,築地居留地内に東京日本基督公会(のちの新榮教会)を創設します。この場所(京橋區築地明石町27番地)は,明治38年(1905)に至って聖ルカ病院(聖公会)に転売されることになります。タムソンは3年にわたって移転交渉を進め,東京日本基督公会は,京橋區新榮町1丁目12番地に移ることになるのです2)。ミッションの決定だったとはいえ,天塩にかけた教会の移転は,残念なことであったでしょう。
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♪墓石の裏面にも,筆記体で文字が刻まれています。大分,風化して薄くなっています。「長老・改革教会来日宣教師事典」1)で調べたところ,このお墓には,9歳で亡くなった二女のMamieも葬られていることがわかりました。タムソン夫妻とMamieの親子が眠っています。
♪タムソンの日本昔噺の英訳「MOMOTARO」は,自分の3人の娘たち(Ruth Rea, Mamie, Grace Colquehan)に読み聞かせることも目的のひとつであったのかもしれません。異国の地で,子供を育て,教育することは,並大抵のことではなかったのではないでしょうか。
♪タムソンは,大正4年(1915)10月29日,新宿角筈102番地の自宅で亡くなり,葬儀は,タムソンが創立した築地新榮教会で,11月1日に行われたそうです。
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♪お墓の脇の染井吉野桜の葉陰からこぼれる日差しには,まだ,夏の力が残り,湿った空気も漂っていました。この染井吉野桜は,幹も太く,枝は,大動脈から分岐する血管のように空に向かって伸びています。
♪タムソン夫妻のお墓を辞し,榊順次郎など医家のお墓をお参りしながら,墓道を進みました。井上元章(もとあき)(陸軍軍医正)(1種イ5号1側)のお墓の前を通ったとき,木下凞(京都療病院初代院長)と親戚関係にある下瀬謙太郎(陸軍軍医学校長)のお墓のことを思いました。下瀬謙太郎のお墓(下瀬家之墓)(一種ロ12号2側)も,この染井霊園にあります。
♪ふと,本郷森川町にあった本郷基督教会3)のことが,頭に浮かびました。
♪「碌山と小石川の教会」4)という論文と「基督教会(ディサイプル)史」5)にワイリック女史と本郷森川町教会の記述があることを思い出しました。この本郷森川町教会は,本郷基督教會とも呼ばれ,森川町幼稚園が併設されて,現在の本郷郵便局の裏あたりにあったようです。本郷基督教會は,明治27年(1894)秋,日本家屋の集会所としてつくられたのが始まりといわれています。
♪本郷森川町は,木下凞が大正2年(1913)に京都から東京に移り,晩年を過ごした場所です。また,明治学院大学出身で,明治22年(1889)高輪台町教会で洗礼をうけた島崎藤村にも関係のある場所でもありました。
♪本郷界隈には,「本郷教会」と名のついた教会がいくつかあり,そのなかで,長老派の「本郷教会」は,明治11年(1878)9月4日に,タムソンが初代仮牧師(在任:明治6年[1873]-明治13年[1880])となって創立されました。この「本郷教会」(大正3年当時の所在地:東京市本郷區本郷4-43)は,戦災にあい,戦後,杉並の上荻(東京都杉並区上荻4-25-5)に移転し,今日に至っています。献堂式は,昭和25年(1950)8月6日に行われました。木下正中,下瀬謙太郎も,「本郷教会」の会員でした6)。
♪大学南校(現在の東京大学)にも関係したタムソンは,「ちりめん本」を片手に,神田・本郷界隈を歩いていたかも知れません。
♪タムソンが,「日本昔噺」(Japanese fairy tale series)の第1号として「桃太郎」(MOMOTARO : MOMOTARO or Little peachling)を英訳したのは,明治18年(1885)のことでした。「日本昔噺」の英訳出版にタムソンやヘボンが協力した理由が,いろいろ,想像されます。
参考ホームページ:「日本昔噺」(Japanese fairy tale series)のデジタル・アーカイブス:
♪所属した教会は違っても,キリスト教伝道のために異国に生きたワイリック女史とタムソン夫妻は,横濱上陸後,それぞれ,どのような人生を横濱居留地,築地居留地,そして本郷・小石川・角筈・赤坂界隈で過ごしたのでしょうか。
♪異国で生涯を終え,3人の宣教師が,染井霊園の外人墓地に葬られた経緯を考えながら,霊園事務所脇の染井門(正門)を出ました。
♪外人墓地の染井吉野桜の大木に咲く桜の季節が思われます。染井霊園に流れる東洋と西洋の時間を感じながら,染井通りを六義園方向に歩き,家路に就きました。
参 考 文 献
1)「長老・改革教会来日宣教師事典」中島耕二・辻 直人・大西晴樹共著.新教出版社,2003.(日本キリスト教史双書)
2)「百年の恵み 日本基督教団新榮教会史」本田 清一編.日本基督教団新栄教会,1973.
3)「番地入り信用案内・大日本職業別明細圖之内 本郷區」(東京都文京区立真砂図書館で閲覧可能)
4)喜田 敬:「碌山と小石川の教会」聖学院大学論叢 18(3):211-237, 2006.
5)本郷基督教会.「基督教会(ディサイプル)史」(秋山 操著 基督教会史刊行委員会 1973)pp.416-421.
6)「本郷教会史(1878-1978) 100周年」長尾 史人著.日本基督教団本郷教会,1979.
(平成22年10月10日 記す)(令和元年6月21日 訂正・追加)