♪『東北帝國大學醫學専門部卒業記念 明治四十五年』を入手しましたので、その一部と、これまでに収集していた東北帝国大学医学部関係の絵葉書を紹介します。
♪「明治45年卒業記念写真集」からの写真と絵葉書を挿入した「東北帝国大学医学部構内」と題するGoogleマイマップにまとめてみました。
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♪明治45年(1912)当時の皮膚科教授は、のちに、土肥慶蔵のあとを継いで東京帝国大学医学部の教授となる遠山郁三でした。帝大を退職後の遠山郁三は、戦中、立教大学学長(1937-1943)をも務めることになります。
♪職員のなかには、魯迅(魯迅と東北大学)の恩師として知られる藤野厳九郎(解剖学)や井上達一(眼科)の名も見えます。皮膚科に太田正雄(詩人・木下杢太郎)が教授として赴任するのは、大正15年(1926)のことでした。
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・明治20年(1887)第二高等中学校医学部設置
・明治34年(1901)仙台医学専門学校設置(片平地区)
・明治45年(1912)東北帝国大学医学専門部(星稜地区)
・大正4年(1915)東北帝国大学医科大学開設
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♪写真帳によると東北帝国大学医学専門部の職員は、以下の通りです。
大学総長(文学士)澤柳政太郎
主事(医学博士)山形仲藝(やまがた・なかき)
教授(医学博士)内田守一
教授(医学士)栗原永之助(産婦人科)
教授(薬学士)佐藤喜代作
教授(医学得業士)敷波重治郎(しきなみ・じゅうじろう)
(得業士とは:医学専門学校の卒業生に与えられた称号 Diplom)
教授(医学士)柿澤信義(かきざわ・のぶよし)
教授(医学士)東 自助
教授 小高 玄
教授(医学士)小塚文治
教授(医学士)遠山郁三(とおやま・いくぞう)(皮膚科)
教授(文学士)古川義天
教授(医学士)小玉龍蔵
教授 藤野厳九郎(ふじの・げんくろう)(解剖学)
教授(医学士)加藤豊治郎(かとう・とよじろう)(内科)
教授(薬学士)細井美水
教授(薬学士)井川寛一郎
教授(医学士)和田徳治郎
教授(医学得業士)玉造弥七郎
教授(医学士)井上達一
助教授(薬学得業士)篠原吉祥
助教授 國岡三樹
助教授(医学得業士)大関隆輔
講師(薬学得業士)石丸生駒
講師(医学士)恒遠 新
教員(陸軍歩兵中尉)大石敬太夫
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[写真帳]
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♪宮城病院(のちの東北帝国大学医学部附属病院)の正門は、現在の県道31号線(旧国道48号線)[北四番丁通り]と264号線[木町通り]とが交わる交差点(附属病院敷地の南東角)にありました。(病院前の道路、国道(48号線)は、2016年に県道となり、現在は県道31号線と呼ばれています。)
♪この東北帝国大学医学部附属病院正門には、4つの立派な門柱があり、平成2年(1990)に復元されましたが、その後、平成16年(2004)に、現在の場所(県道31号[北四番丁通り]に面した病院正門の左手)に移転整備されています。
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[絵葉書]
山形仲藝寿像とレリーフ
大正8年(1919)7月14日に除幕式が行われましたが、戦中の昭和18年(1943)7月3日に銅像は、供出されることになります。
戦後、昭和29年(1954)、艮陵同窓会創立70周年記念事業の一環としてレリーフをはめ込んだ記念碑が作られることになります。(医学部構内 一号館前)
参考:
1)「東北大学百年史編纂室ニュース」(第4号 1999.8.31)
2) 冨永悌二(巻頭言 ~創立50年の年に)(PDF)
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(2020年1月12日 16日 記す)