88.『東北帝國大學醫學専門部在学記念 明治四十五年』写真帳と医学部構内絵葉書(Googleマイマップ 東北帝国大学医学部構内)

♪『東北帝國大學醫學専門部卒業記念 明治四十五年』を入手しましたので、その一部と、これまでに収集していた東北帝国大学医学部関係の絵葉書を紹介します。

『東北帝國大學醫學専門部在学記念 明治四十五年』(写真帳)
東北帝国大学医学部附属病院玄関(絵葉書)

♪「明治45年卒業記念写真集」からの写真と絵葉書を挿入した「東北帝国大学医学部構内」と題するGoogleマイマップにまとめてみました。

 

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♪明治45年(1912)当時の皮膚科教授は、のちに、土肥慶蔵のあとを継いで東京帝国大学医学部の教授となる遠山郁三でした。帝大を退職後の遠山郁三は、戦中、立教大学学長(1937-1943)をも務めることになります。

♪職員のなかには、魯迅(魯迅と東北大学)の恩師として知られる藤野厳九郎(解剖学)や井上達一(眼科)の名も見えます。皮膚科に太田正雄(詩人・木下杢太郎)が教授として赴任するのは、大正15年(1926)のことでした。

東北大学医学部構内にのこる「木下杢太郎文学碑」(1989.12.5 堀江幸司撮影)
東北大学医学部構内にのこる「木下杢太郎文学碑」(2020.2.15 加藤晃一氏撮影[東北大学附属図書館])

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 ・明治20年(1887)第二高等中学校医学部設置

 ・明治34年(1901)仙台医学専門学校設置(片平地区)

第二高等学校(仙台医学専門学校)(絵葉書)

 ・明治45年(1912)東北帝国大学医学専門部(星稜地区)

宮城病院建築平面図1(出典:宮城病院一覧
宮城病院建築平面図2(出典:宮城病院一覧

 ・大正4年(1915)東北帝国大学医科大学開設

東北帝国大学医学専門部・東北帝国大学医科大学正門(絵葉書)

 

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♪写真帳によると東北帝国大学医学専門部の職員は、以下の通りです。

大学総長(文学士)澤柳政太郎

主事(医学博士)山形仲藝(やまがた・なかき)

教授(医学博士)内田守一

教授(医学士)栗原永之助(産婦人科)

教授(薬学士)佐藤喜代作

教授(医学得業士)敷波重治郎(しきなみ・じゅうじろう)

 (得業士とは:医学専門学校の卒業生に与えられた称号 Diplom)

教授(医学士)柿澤信義(かきざわ・のぶよし)

教授(医学士)東 自助

教授 小高 玄

教授(医学士)小塚文治

教授(医学士)遠山郁三(とおやま・いくぞう)(皮膚科)

教授(文学士)古川義天

教授(医学士)小玉龍蔵

教授     藤野厳九郎(ふじの・げんくろう)(解剖学)

教授(医学士)加藤豊治郎(かとう・とよじろう)(内科)

教授(薬学士)細井美水

教授(薬学士)井川寛一郎

教授(医学士)和田徳治郎

教授(医学得業士)玉造弥七郎

教授(医学士)井上達一

助教授(薬学得業士)篠原吉祥

助教授       國岡三樹

助教授(医学得業士)大関隆輔

講師(薬学得業士)石丸生駒

講師(医学士)恒遠 新

教員(陸軍歩兵中尉)大石敬太夫

 

 

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[写真帳]

(左)主事 医学博士 山形仲藝先生 (右)病院長 医学博士 内田守一先生
(明治45年写真帳より)
宮城病院正門及本館(明治45年写真帳より)

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♪宮城病院(のちの東北帝国大学医学部附属病院)の正門は、現在の県道31号線(旧国道48号線)[北四番丁通り]と264号線[木町通り]とが交わる交差点(附属病院敷地の南東角)にありました。(病院前の道路、国道(48号線)は、2016年に県道となり、現在は県道31号線と呼ばれています。)

♪この東北帝国大学医学部附属病院正門には、4つの立派な門柱があり、平成2年(1990)に復元されましたが、その後、平成16年(2004)に、現在の場所(県道31号[北四番丁通り]に面した病院正門の左手)に移転整備されています。

 

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上段 校舎(左) 裏門(右)
下段 東北帝国大学医学専門部正門
(明治45年写真帳より)

現在の流体科学研究所(片平)のあたり

 

人物上段左から
大石教官、国岡助教授、古川教授、小高教授
人物下段左から
菅原書記、武田書記、宮崎書記、田総書記

庶務室  書籍室


(明治45年写真帳より)
上段 外科手術室外景(左) 病院外景(右)
下段 講義室(左) 婦人科手術室外景(右)
(明治45年写真帳より)
藤野厳九郎教授と解剖実習室(明治45年写真帳より)
藤野厳九郎教授

 

上段 遠山教授(左) 皮膚科診察室(右)
下段 皮膚科手術室(左) 皮膚科標本室(右)
(明治45年写真帳より)

 

四年級応援団(大運動会)(明治45年写真帳より)

 

 

 

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[絵葉書]

東北帝国大学医学部附属医院(絵葉書)
東北帝国大学医学部(絵葉書)
東北帝国大学医学部本館と同附属医院本館(絵葉書)

 

山形仲藝寿像とレリーフ

大正8年(1919)7月14日に除幕式が行われましたが、戦中の昭和18年(1943)7月3日に銅像は、供出されることになります。

戦後、昭和29年(1954)、艮陵同窓会創立70周年記念事業の一環としてレリーフをはめ込んだ記念碑が作られることになります。(医学部構内 一号館前)

山形仲藝博士レリーフ像(1989.12.5 堀江幸司撮影)
山形仲藝博士寿像(加藤晃一氏撮影[東北大学附属図書館]2020.2.15)
山形仲藝博士寿像(1989.12.5 堀江幸司撮影)
山形仲藝博士寿像(加藤晃一氏撮影[東北大学附属図書館]2020.2.15)
山形仲藝博士寿像(加藤晃一氏撮影[東北大学附属図書館]2020.2.15)

参考:

1)「東北大学百年史編纂室ニュース」(第4号 1999.8.31)

2) 冨永悌二(巻頭言 ~創立50年の年に)(PDF

 

東北帝国大学医学部(絵葉書) 山形仲藝寿像が写る(大正8年7月建築)
山形仲藝博士寿像(絵葉書)

 

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外科手術室と婦人科手術室の場所(出典:宮城病院一覧
東北帝国大学医学部附属病院 婦人科手術室外観(絵葉書)(絵葉書のキャプションに外科手術室とあるのは婦人科手術室の誤りと思われる)
東北帝国大学医学部附属病院 外科手術室外観(絵葉書)(絵葉書のキャプションに婦人科手術室とあるのは外科手術室の誤りと思われる)

 

 

参考:東北大学関係写真データベース

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(2020年1月12日 16日 記す)