🍂🍂今回は、東北大学病院(仙台市青葉区星陵町1番1号)の前身である宮城病院の場所の変遷について、収集した絵葉書や古地図を通して見てみました。
🍂宮城病院(東三番丁・元貞坂)跡:[現・新NHK仙台放送局(陸奥ホテル・ホテル仙台プラザ跡)]
🍂新宮城病院(北四番丁)[現・東北大学星陵キャンパス]
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明治5年(1872) 仙台共立病院(仙台市南町)(中目齋、石田眞等)
明治12年(1879)5月 仙台共立病院を仙台県立病院と改称して、国分町に移転。7月 仙台県立病院を宮城病院と改称。
明治17年(1884)10月 宮城病院を元貞坂に竣功、移転。宮城医学校の附属として、「宮城医学校附属医院」と改称。
明治21年(1888) 第二高等学校内に医学部が設置され、宮城医学校が廃止。「宮城医学校附属病院」の名称も廃止され、「宮城病院」の名称にもどることとなる。
片平丁にあった第二高等学校医学部が仙台医学専門学校として分離されたのが、明治34(1901)年4月のことで、附属病院として東三番丁(元貞坂)にあった宮城病院(県立)が使われました。
元貞坂(玄定坂)は、宮城病院の敷地と東三番丁通りを結ぶ坂でした。
現在、宮城病院跡には、新NHK仙台放送局が建っていますが、かつて、この地は、仙台停車場に近く、日本鉄道が陸奥ホテルがありました。
明治44年(1911)4月 宮城病院が、木町通の西側、北四番丁の現在地に移転される。当時の病院長は、内田守一(兼小児科長)、山形仲藝は外科長でした。
大正2年(1913) 東北帝国大学医学専門部の附属医院となる。(県立宮城病院の移管)
大正5年(1915) 東北帝国大学医科大学が開設され医学専門部附属医院は医科大学附属医院となる。
大正8年(1919) 東北帝国大学医学部附属医院と改称
昭和22年(1947) 東北大学医学部附属医院と改称
平成15年(2003) 歯学部附属病院と統合して東北大学病院となる。
参考文献
宮城病院の沿革 (出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
仙台医学専門学校一覧(出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
『東北大学医学部開設百周年記念写真集』(東北大学医学部開設百周年記念委員会編 2019年12月27日発行)
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仙台医学専門学校(第二高等学校敷地内)建物図(片平丁) (出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
🍂宮城病院全図(明治37年)(仙台市東三番丁六十三番地)
宮城病院構内外科大手術室
外科手術室は、明治33年(1900)10月着手、明治36年(1903)9月竣功。元貞坂にあった宮城病院の敷地内に新設されました。「宮城病院新設大手術室概要」(山形仲藝、佐藤熊之助供述)によると、建築の大体は、「ハイデルブルヒ」医科大学ならびに東京大学病院の手術室を参考にして、図案は文部省技師の久留正道の手によるとのことです。
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宮城病院の移転に伴う外科手術室の移築
明治44年3月に宮城病院が北四番丁(現在地・東北大学星陵キャンパス)(のちの東北大学医学部附属病院)に移転した際に、外科手術室は移築されることます。
(2020年2月13日 記す)