東京都立駒込病院(現・がん・感染症センター都立駒込病院):
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♪本郷通りをJR駒込駅前から東京大学方面へ向かい上富士前交差点、富士神社入口交差点を過ぎると、次ぎの交差点が文京九中入口ですが、その交差点の進行方向左側の道端に「駒込総社天祖神社入口(昭和三十四年五月建之)」の標柱が建っています。
♪天祖神社(駒込神明宮)は、駒籠(駒込)の総鎮守産土神(うぶすなかみ)で、その氏子区域は、駒込神明町、淺嘉町、動坂町、千駄木林町、駒込片町、吉祥寺町、富士前町、上富士前町、北豊島郡巣鴨町大字上駒込村字傳中、妙義坂、染井でした。
♪境内は、いまも昔の面影を残し、クスノキ、イチョウの大木があります。明治時代には、その敷地は約一千坪もあり、「老杉蔭暗らき所」で、境内から動坂に抜ける近道がありました。いまでも、境内を通って、動坂方面に通行できるようになっています。
(2019年撮影)(がん・感染症センター都立駒込病院は、この境内を入って奥、右側一帯にある)
♪この天祖神社の裏が「がん・感染症センター都立駒込病院」(旧東京都立駒込病院)(以下、駒込病院)で、この辺りは、将軍が鷹狩りをした際に、その役を担う鷹匠たちの屋敷(御鷹匠屋敷)があった場所です。八代将軍吉宗は、鷹狩りの御膳所(休憩場所)とて、いまも巣鴨地蔵通商店街入口にある真性寺(しんしょうじ)を使ったそうです。真性寺は、森鴎外が『北條霞亭』(大正6年<1917>)を執筆するために訪ねたお寺でもあります。
♪駒込病院は、本郷通りと不忍通りに挟まれた場所に位置しています。病院の名称から、JR駒込駅の近くにあるように思われがちですが、どちらかというと田端よりにあります。ちょっと交通の不便な所で、病院案内ではJR田端駅から都バスを利用した交通案内があります。JR駒込駅からはタクシーで行くのが便利です。本郷通りを富士神社入口交差点で左折すると動坂の坂上にでます。その右側が駒込病院です。
♪正面入口の一角に「動坂遺跡(東京都指定史跡 昭和51年1月16日指定)」の説明版が建っています。それによると、「縄文中期の集落跡と享保3年(1718)に置かれた鷹匠役屋敷跡の複合遺跡」で、昭和49年(1974)8月、東京都立駒込病院の改築の際に、ここから貝塚が発見され、鷹匠役屋敷跡に関連する遺構・遺物も豊富に発掘されたとあります。
♪動坂は不動坂の略で、動坂にあった赤目不動にちなんで、そう呼ばれたといいます。寛永のころ(1624-44)三代将軍家光が鷹狩の途中、赤目不動に立ち寄り、目黒・目白に対して目赤不動(南谷寺)と命名したそうです。
♪駒込病院正面入口の前をさらに進むと駒本(こまもと)小学校前交差点で本郷通りへぶつかりますが、その手前の左側が高林寺(緒方洪庵墓所)です。現在の目赤不動(南谷寺・なんこくじ)は、交差点を右折して左側の本郷通り沿いにあります。
♪東京都立駒込病院の歴史を調べていたら、『新撰東京名所図会(風俗画報臨時増刊)第50編』(明治40年発行)に東京市駒込病院の記載がありました。
東京都立駒込病院の歴史
『新撰東京名所図会(風俗画報臨時増刊)第50編』(明治40年発行)に現在の東京都立駒込病院の前身である東京市駒込病院についての記述がありましたので、紹介しておきます。
「東京市駒込病院は、駒込動坂町にあり。明治十二年虎列刺病流行の時、設置したる舊避病院の一にして、北豊島郡駒込村即ち今の地に病室二棟を新築したりしもの、その起原たり。後ち一度閉院して東京府に引継ぎ遂に之を毀撤し、其敷地のみ保有したりしが、十九年六月向ヶ岡彌生町の避病院を其跡に移し、廿八年より事務所、病室を増築し自費患者の入院を許し三十年より、東京市に属し、之を常時傳染病院とし、以て現在の病院に擴張せり。其敷地左の如し。自廿六番地至四十一番地 自七十五番地至八十五番地 自八十九番地至九十一番地 九千九百一坪。建坪二千十六坪余。病室八棟、百七室ありて、患者二百五十人を収容するの設備を有す。消毒所、洗濯所、汚物焼却場、患者賄所、浴室、寝室、醫局、薬局事務所、看護婦室、診察所、顕微鏡室、門番所、物置等あり。醫員四名、調薬生三名、機関手一名、其他看護婦以下の諸員あり。卅九年十一月末日の在院患者百七人なり。外来患者を取扱はず、診察料不要。入院料は、特別一日金貳圓五拾銭、一等一日金壹圓五拾銭、二等一日金壹圓、三等一日金五拾銭。但自費患者に限る。電話本局七百五十八番」
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♪明治39年(1906)当時の駒込病院では、4名の医者で100名以上の入院患者をみていたことになります。病院のまわりには、天祖神社、富士神社、吉祥寺などの神社やお寺の境内があり、近くには千駄木の雑木林も多く残っていたことでしょう。隔離された一万坪ほどの敷地内で患者さん達はどのように過ごしていたのでしょうか。
♪動坂上の駒込病院の辺りには、町家のほかに植木屋も多くあったようです。動坂下は、新開地で、田端に連なり、一円に耕地が続いていたそうです。坂上からは、日暮里、尾久の方まで眺望が開けていて、野鳥が飛び交い、空気もいまよりずっと澄み切っていたことでしょう。夜空の星もどんなにか綺麗にみえたことかと思います。
♪縄文時代は、この辺りまで海だったわけで、東京都立駒込病院の前に立ち、この地域の歴史を振り返ると、すごい時代の移り変わりを感じました。
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♪令和2年(2020年)3月から顕著になった新型コロナウィルス感染症の発現により、東京には、緊急事態宣言が発せられ「がん・感染症センター都立駒込病院」をはじめ都内の各病院では、入院患者への面会原則禁止など、院内感染防止対策のため、厳重な警戒態勢がとられています。
♪5月中旬になって、全国的に感染者数は、徐々に減ってきてはいますが、まだ、安心できるような状況にはありません。依然、マスク不足は続いてます。日本手ぬぐい(トンボ柄)でマスクを自作してみました。手ぬぐいを折りたたんで、左右にゴムをかけただけですが、以外に顔にフィットします。
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都立駒込病院へ行く(2023.12.7)
外来受診の付き添いで「駒込病院」行ってきました。自宅が病院の近くにありますので、古くから知っていたのですが、なかに入ったのは初めてでした。
とにかく病院内の清掃が行き届いています。床はピカピカ、衛生的です。感染防止が徹底されています。
外来の受付では、自動受付機に診察券を入れると、「受付票」と「外来呼出受信機」が出てきました。
順番が来ると、ベルが鳴って確認ボタンを押すと何処にいけばよいかを知らされます。病院内なら何処にいても安心です。
歯科ユニットは、最新機器が揃い、抜歯の際の医師と看護師の連携も見事でした。
外来が終わり3階の売店食堂に行ってみました。ベランダも良く整備されていて、遠景、浅草スカイツリーが夕陽を受けていました。構内の木々の黄葉が見事でした。
参考文献:『駒込病院 百三十年の史譚』(磯貝 元著 博文館新社 2011)
(平成14年8月18日 記)(平成14年8月19日 記)(令和2年(2020)5月9日 追記)(2023.12.9 追記)