101. 日本赤十字社病院:本館と外来診察所(設計:片山東熊と岡田信一郎)

現在地日本赤十字社医療センター:渋谷区広尾4丁目(旧南多摩渋谷村御料地・渋谷区宮代町1丁目)

(1)本館(明治23年)(片山東熊設計)

明治23年(1890)6月竣功 設計:片山東熊(長州藩出身 コンドルの一期生)(参考:建築学会写真データベース

🌲現在の日本赤十字社医療センターは、もと佐倉藩・堀田下屋敷跡にあり、「日本赤十字社病院全景」の絵葉書に写る大木は、手術室の裏庭にあった「宗吾の松」かと思われます。敷地内には、多くの松のほかに、大イチョウ、大椎、大桑の木があったそうです。この「宗吾の松」は、関東大震災後、昭和初期に枯れ、その後、敷地内に一株だけの残った松が、二代目の「宗吾の松」として、医療センターの新築工事(2010年落成)の際に現在地(日本赤十字看護大学広尾キャンパス構内)に移植されています。

参考:日本赤十字社医療センター建物建設工事

日本赤十字社病院全景(絵葉書)
渋谷赤十字の宗吾松(東京府史蹟名勝天然記念物調査報告書. 第2冊 (天然記念物老樹大木の調査))(国立国会図書館デジタルコレクション)

日本赤十字社病院(絵葉書)(本館は正門を入って右手)

日本赤十字社病院本館荘園(絵葉書)

(2)本館の再建(大正14年[1925])(岡田信一郎設計)

🌲岡田信一郎(東京帝国大学工科大学建築学科)が日本赤十字社病院の設計顧問となったのは、大正4年(1915)のことで、岡田による日本赤十字社病院関連の設計には、震災後の大正14年(1925)に竣功した本館のほかにも、外来診察所、分病室、産院など多数ありました。(参考:「岡田信一郎岡田捷五郎建築設計原図集成 内容一覧」国立国会図書館デジタルコレクション

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: 日本赤十字社病院前庭001-1024x644.jpg
日本赤十字社病院前庭(右手に見える建物が本館、左手の植木の後ろに見える建物が外来診察所)

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(3)外来診察所(明治37年[]1904)

「外来患者の増加にともない明治35年本社に増築委員会を設け、同年7月工事い着手、同38年にかけて、外来診察所が完成。このとき、分病室(伝染病室)、寄宿舎、教場なども完成。」

明治35年には、長年、日本赤十字社の社長を務めた佐野常民(さの・つねたみ)(佐賀藩)が死去し、後任として、松方正義(まつかた・まさよし)(薩摩藩)が就任して、副社長も大給恒(おぎゅう・ゆずる)(奥殿藩)にかわって小澤武雄(おざわ・たけお)(小倉藩)(陸軍士官学校校長・陸軍中将・貴族院議員)が就任しています。

日本赤十字社創立貳拾五年記念祝典記念(絵葉書)(佐野常民社長・花房義質副社長・大給恒副社長)
「第九囘万国赤十字総会参列日記 : 明治四十五年五月」(国立国会図書館デジタルコレクション)
(日本赤十字社社長・松方正義 副社長・小澤武雄 副社長・花房義質)

小沢男爵講話百題 : 日本赤十字社副社長

少将小沢武雄士官学校長被命ノ件

(4)外来診察所(大正11年[1922]11月)(岡田信一郎設計)(のちに外来別館として使用)

(5)新外来診察所(昭和11年[1936])

「昭和10年7月9日地鎮祭を行って工事に着手し、翌年11月に完成。鉄筋コンクリート4階建で、一部に地階をもち外面は白色タイル張、本館と薬剤科、レントゲン科に区分されている」

日本赤十字社中央病院構内圖(昭和41年当時)(病院創立80周年)

参考文献

「日本赤十字社中央病院80年史」(日本赤十字社中央病院 昭和41年刊)

(令和2年[2020]8月23日 コロナ渦中 記す)

100.『日本赤十字社病院寫眞帖』(昭和9年刊)(2)

🌲前回からの続きです。絵葉書と組み合わせて紹介します。

『日本赤十字社病院寫眞帖』(PDF)

設立経緯:

参考:

1)「日本赤十字社中央病院80年史」

2)「日本赤十字社病院沿革及現况」(国立国会図書館デジタルコレクション)

3)「日本赤十字社歴史画談」(国立国会図書館デジタルコレクション)

明治19年(1886)

 5月 陸軍軍医総監 橋本綱常の提出した病院設立建議書に基づいて本社臨時会議で病院建設を可決

 8月 陸軍軍医監 石黒忠悳の斡旋で麹町區飯田町付近の土地を陸軍省から借り入れ病院の建築起工

博愛社(日本赤十字社の前身)
日本赤十字社(飯田町)(絵葉書)

日本赤十字社跡記念碑(東京都千代田区神田佐久間町4丁目9番地)

 10月 院長陸軍軍医総監橋本綱常、副院長陸軍軍医監石坂惟寛 以下病院職員を嘱託

 11月17日 開院式を挙行し博愛社病院と命名

明治20年((1887)

 博愛社が日本赤十字社と改名されたのに伴い、博愛社病院も日本赤十字社病院と改名される

明治21年(1888)

 12月 現在の地(渋谷区広尾)である南多摩御料地(豊多摩郡渋谷村御料地)の拝借を許可

 🌲この御料地内では、照憲皇太后(明治天皇の皇后)が奨励された養蚕のため、桑の木などが栽培された時期もあったようです。

明治23年(1890)

 12月 新築病院はほとんど落成 

明治24年(1891)

 5月 病院新築成り現在地(現・渋谷区広尾)に移転開院

「新築の病院はドイツのハイデルベルヒ大学病院を模したもので、・・・この新病院は、三宅大学教授が持ち帰ったハイデルベルヒ大学病院の設計図によって汚水の消毒まで完備したもので、・・・設計監督は片山[東熊]工学博士による」

二階建てのレンガ造りの本館の背後に内庭があり、その廻りを病室が囲む形で設計されています。この病棟の一部は、現在、明治村に移築(昭和48年[1973]解体・昭和49年[1974]移築)されて、現存しています。

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日本赤十字社病院正門(渋谷)(絵葉書)

日本赤十字社病院本館正面(絵葉書)

明治25年(1892)

 6月17日 新築病院開院式挙行

日本赤十字社病院開院式:「中央医事新報」(294)

明治45年・大正元年(1912)

 10月 飯田町にあった本社、芝の現在地に移転。博愛社時代に本館として使われていた建物は、看護婦集会室として広尾の構内に移築される。

[写真]

芝の日本赤十字社本社(現・港区芝大門1丁目1ー3)

日本赤十字社病院(現・日本赤十字社医療センター 渋谷区広尾4丁目1-22

日本赤十字社本部(芝)(絵葉書)

大正11年(1922)

 外来診察所を新築。

[写真]

大正14年(1925)

 10月 本館、理学診察所、第1区東別室、北病棟、調乳室、分病室南棟、販売所落成。

[写真]

昭和11年(1936)

 11月 病院創立五十周年記念式典並に外来本館落成式挙行。新築外来本館で診察開始。

[写真]

昭和12年(1937)

 3月 旧外来診察所、薬室のあとを病棟に改め入院患者を収容する

🌲🌲🌲(前回の続き)

16、『日本赤十字社病院寫眞帖』
17、『日本赤十字社病院寫眞帖』
18、『日本赤十字社病院寫眞帖』
19、『日本赤十字社病院寫眞帖』
20、『日本赤十字社病院寫眞帖』
21、『日本赤十字社病院寫眞帖』
22、『日本赤十字社病院寫眞帖』
23、『日本赤十字社病院寫眞帖』
24、『日本赤十字社病院寫眞帖』
25、『日本赤十字社病院寫眞帖』
26、『日本赤十字社病院寫眞帖』
27、『日本赤十字社病院寫眞帖』
28、『日本赤十字社病院寫眞帖』
29、『日本赤十字社病院寫眞帖』
30、『日本赤十字社病院寫眞帖』
31、『日本赤十字社病院寫眞帖』
32、『日本赤十字社病院寫眞帖』
33、『日本赤十字社病院寫眞帖』
34、『日本赤十字社病院寫眞帖』
35、『日本赤十字社病院寫眞帖』
36、『日本赤十字社病院寫眞帖』

(令和2年(2020)8月17日 東京は新型コロナ禍 酷暑・37度 記す)

99.『日本赤十字社病院寫眞帖』(昭和9年刊)(1)

🌲『日本赤十字社病院寫眞帖』(昭和9年刊)を入手しましたので、デジタル化して紹介します。(2回にわけて掲載します)

場 所:東京市渋谷區宮代町一番地(現・東京都渋谷区広尾4丁目)

略 歴

🌲明治19年(1886)11月麹町區飯田町に当院の前身の博愛社病院創立、翌明治20年(1887)5月、日本赤十字社病院と改称。

🌲昭和16年(1941) 日本赤十字社中央病院と改称

🌲昭和47年(1972) 日本赤十字社産院を統合して、日本赤十字社医療センターとなる

参考:日本赤十字看護大学校歌・貞明皇后御歌「四方のくに」

(次回へ続く)

(令和2年(2020)8月5日 記す)