100.『日本赤十字社病院寫眞帖』(昭和9年刊)(2)

🌲前回からの続きです。絵葉書と組み合わせて紹介します。

『日本赤十字社病院寫眞帖』(PDF)

設立経緯:

参考:

1)「日本赤十字社中央病院80年史」

2)「日本赤十字社病院沿革及現况」(国立国会図書館デジタルコレクション)

3)「日本赤十字社歴史画談」(国立国会図書館デジタルコレクション)

明治19年(1886)

 5月 陸軍軍医総監 橋本綱常の提出した病院設立建議書に基づいて本社臨時会議で病院建設を可決

 8月 陸軍軍医監 石黒忠悳の斡旋で麹町區飯田町付近の土地を陸軍省から借り入れ病院の建築起工

博愛社(日本赤十字社の前身)
日本赤十字社(飯田町)(絵葉書)

日本赤十字社跡記念碑(東京都千代田区神田佐久間町4丁目9番地)

 10月 院長陸軍軍医総監橋本綱常、副院長陸軍軍医監石坂惟寛 以下病院職員を嘱託

 11月17日 開院式を挙行し博愛社病院と命名

明治20年((1887)

 博愛社が日本赤十字社と改名されたのに伴い、博愛社病院も日本赤十字社病院と改名される

明治21年(1888)

 12月 現在の地(渋谷区広尾)である南多摩御料地(豊多摩郡渋谷村御料地)の拝借を許可

 🌲この御料地内では、照憲皇太后(明治天皇の皇后)が奨励された養蚕のため、桑の木などが栽培された時期もあったようです。

明治23年(1890)

 12月 新築病院はほとんど落成 

明治24年(1891)

 5月 病院新築成り現在地(現・渋谷区広尾)に移転開院

「新築の病院はドイツのハイデルベルヒ大学病院を模したもので、・・・この新病院は、三宅大学教授が持ち帰ったハイデルベルヒ大学病院の設計図によって汚水の消毒まで完備したもので、・・・設計監督は片山[東熊]工学博士による」

二階建てのレンガ造りの本館の背後に内庭があり、その廻りを病室が囲む形で設計されています。この病棟の一部は、現在、明治村に移築(昭和48年[1973]解体・昭和49年[1974]移築)されて、現存しています。

🌲🌲🌲

日本赤十字社病院正門(渋谷)(絵葉書)

日本赤十字社病院本館正面(絵葉書)

明治25年(1892)

 6月17日 新築病院開院式挙行

日本赤十字社病院開院式:「中央医事新報」(294)

明治45年・大正元年(1912)

 10月 飯田町にあった本社、芝の現在地に移転。博愛社時代に本館として使われていた建物は、看護婦集会室として広尾の構内に移築される。

[写真]

芝の日本赤十字社本社(現・港区芝大門1丁目1ー3)

日本赤十字社病院(現・日本赤十字社医療センター 渋谷区広尾4丁目1-22

日本赤十字社本部(芝)(絵葉書)

大正11年(1922)

 外来診察所を新築。

[写真]

大正14年(1925)

 10月 本館、理学診察所、第1区東別室、北病棟、調乳室、分病室南棟、販売所落成。

[写真]

昭和11年(1936)

 11月 病院創立五十周年記念式典並に外来本館落成式挙行。新築外来本館で診察開始。

[写真]

昭和12年(1937)

 3月 旧外来診察所、薬室のあとを病棟に改め入院患者を収容する

🌲🌲🌲(前回の続き)

16、『日本赤十字社病院寫眞帖』
17、『日本赤十字社病院寫眞帖』
18、『日本赤十字社病院寫眞帖』
19、『日本赤十字社病院寫眞帖』
20、『日本赤十字社病院寫眞帖』
21、『日本赤十字社病院寫眞帖』
22、『日本赤十字社病院寫眞帖』
23、『日本赤十字社病院寫眞帖』
24、『日本赤十字社病院寫眞帖』
25、『日本赤十字社病院寫眞帖』
26、『日本赤十字社病院寫眞帖』
27、『日本赤十字社病院寫眞帖』
28、『日本赤十字社病院寫眞帖』
29、『日本赤十字社病院寫眞帖』
30、『日本赤十字社病院寫眞帖』
31、『日本赤十字社病院寫眞帖』
32、『日本赤十字社病院寫眞帖』
33、『日本赤十字社病院寫眞帖』
34、『日本赤十字社病院寫眞帖』
35、『日本赤十字社病院寫眞帖』
36、『日本赤十字社病院寫眞帖』

(令和2年(2020)8月17日 東京は新型コロナ禍 酷暑・37度 記す)