場 所:旧日本橋區北鞘町一番地(一石橋北詰)(現在の東洋経済ビルの場所)
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♪東京駅が復元され,観光名所となっているようです。復元のもととなった東京驛(中央停車場)は,大正3年(1914)に辰野金吾によって設計・建築されたものでした1)。
♪辰野金吾2)3)4)は,日本銀行本店・小樽支店(現・金融資料館)・大阪支店・京都支店,盛岡銀行本店(現・岩手銀行中ノ橋支店),奈良ホテル,万世橋駅舎(初代),両国国技館などの設計でも知られています。
♪外濠と日本橋川が繋がる場所に架かる一石橋際(北詰)に東京火災保険株式會社(のちの東京火災海上運送保険會社)が日本橋際(南詰)から移転して新築されたのは明治39年(1906)8月1日のことでした。外濠の日本銀行本店前に架かる常磐橋(第102回)のことを調べている過程で,この東京火災保険株式會社社屋の設計が,辰野金吾によることを知りました。
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♪辰野金吾(1854-1919)2)3)4)は,佐賀県の旧唐津藩の出身(下級武士の家)。嘉永7(1854)年8月22日,肥前國東松浦郡唐津町(現在の佐賀県唐津市)に姫松(ひめまつ)家(姫松倉右衛門)の次男として生まれ,のちに辰野家(辰野宗安(むねやす))の養子となります。佐賀といえば,伊東玄朴,相良知安,佐野常民の故郷でもあります。
♪明治4年(1871),高橋是清が唐津藩の英語学校(洋学校)の教員となるのですが,その生徒のなかに曽禰達蔵と辰野金吾がいました。
♪明治6年(1873),東京に出て,工部省工学寮(のちの工部大学校・東京大学工学部)に入学します。工学寮の同期生のなかには,高峰謙吉(金沢藩医の長男・化学専攻)もいました。
♪辰野金吾は,同郷の曽禰達蔵,片山東熊(長州藩)(日本赤十字社中央病院病棟の設計者,明治村に移築)と共に造家(ぞうか)(建築)を専攻,ジョサイヤ・コンドルの指導を受けることになります。
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辰野金吾,澁澤榮一に出会う:日本橋川・運河沿いの商業街計画
♪卒業設計は,「自然歴史博物館」,首席で卒業,英国留学をはたします。留学生のなかには,高峰謙吉(化学),三好晋六郎(機械・造船)の顔もありました。帰朝後,工部省に出仕,営繕課に勤務,澁澤榮一(第一国立銀行頭取)の依頼による「銀行集会所」が処女作となります。兜町にあった澁澤榮一邸(洋館)(現・日証館の敷地)も辰野金吾の設計でした。
♪澁澤榮一には,日本橋川や楓川(紅葉川)にそった「兜町,南茅場町,阪本町の三町を,運河を生かしたペニスのような商業街に変える」4)構想がありました。辰野金吾は,工部省営繕課に入ることによって澁澤榮一と繋がり,のちの建築家としての活動に大きな力を得たことになります。コンドルのあとを継いで,東京大学建築学科の初代教授を務めることになったのは,明治17年(1884)のことでした。
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♪外濠に沿って,日本銀行本店,日本銀行附属建物・正金銀行出張所(横濱正金銀行東京支店),東京火災保険株式會社が並んでいます。(絵葉書参照)これら建物は,すべて辰野金吾の設計によります。
♪横浜にある横濱正金銀行本店(現在の神奈川県立歴史博物館)は,辰野金吾(英国流)のライバルでもあった妻木(つまき)頼黄(よりなか)(1854-1919)(内務省兼大蔵省営繕局建築掛)(ドイツ流)(コーネル大学出身)の設計です。
♪『明治大正建築寫眞聚覧』5)のなかに,横濱正金銀行東京支店が「日本銀行附属建物(正金銀行出張所)」(竣工:明治31年[1898]11月)と呼ばれた時代の写真をみつけました。その説明に設計が辰野金吾,關野貞とありました。
♪横濱正金銀行の建物は,辰野金吾が出張所を、妻木頼黄が本店を設計したことになります。
♪妻木頼黄は,横濱赤煉瓦倉庫(新港埠頭保税倉庫)の設計でも知られています。赤煉瓦の東京驛(辰野金吾)と横濱赤煉瓦倉庫(妻木頼黄)。日本銀行本店(辰野金吾)と横濱正金銀行本店(妻木頼黄)。建造物は,残ることによって,歴史をつくるとともに,設計者の思いまでも伝わってくるようです。
♪横濱正金銀行東京支店は,大正9年(1920)に建て替えられることになります。外装には花崗岩が使用,加工・施工には,当時の最新の機械設備が使われたといいます。その設計をしたのが,辰野金吾の弟子にあたる長野宇平治(ながの・へいじ)6)でした。
♪一枚の絵葉書や写真のなかから,明治の建築家たちの意思と情熱が伝わってきます。江戸から明治への近代化の有りようを建築という形で示しています。
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♪東京火災保険株式會社が設立されたのは,明治20年(1887)6月10日(発起人:鵜殿長[旧鳥取藩家老],神戸信義,木山市三,柳川清助,柳川繁の五氏)のことでしたが,その創立事務所が設置されたのは,京橋區三十間堀三町目三番地でした。その後,事務所(本店営業所)は,何度か移転されます7)。
明治20年[1887]6月10日:京橋區三十間堀三町目三番地
明治21年[1888]9月11日:京橋區銀座二丁目九番地
明治21年[1888]11月23日:京橋區銀座二丁目十四番地
明治24年[1891]4月9日:京橋區銀座三丁目二十番地
明治29年[1896]9月13日:日本橋區西河岸第二十一號地[日本橋南詰](この年,安田善次郎が評議委員監督に就任)
[新社屋:明治36年[1903]8月起工 明治38年[1905]7月竣工]8)
明治39年[1906]8月1日:日本橋區北鞘町一番地[一石橋北詰に新築落成移転]
明治40年[1907]1月4日:商号を「東京火災海上運送保険会社」と改称
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東京火災保険株式會社社屋の画像資料
資料1)『日本之名勝』(史傳編纂所刊 1900)9)
『日本之名勝』に日本橋南詰にあった当時の写真(「近代デジタルライブラリー」「写真の中の明治・大正」)がありました。明治44年に架け替えられる前の日本橋(木橋)が写っています。お正月の風景でしょうか。梯子の上で演技をしている鳶の姿が見えます。
資料2)『東京火災保険株式會社五十年誌』(志津野眞二編 1938)7)
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本店営業所移轉
明治三十九年[1906]八月一日,本店営業所を東京市日本橋區西河岸二十一號地より,同市同區北鞘町一番地に移転した。
日本橋々畔の本社々屋は,明治二十九年新築,その後未だ幾許も経過しなかったが,當時日本橋架け替えへの議が具體化し,當社の建物も取拂ひを餘儀なくされたので,當社では早速附近に恰好の敷地を捜求し,日本銀行に近接する一石橋際に一劃の土地を獲た。
是に於て,當時建築界の権威,日本銀行,東京驛等の設計者たる辰野金吾博士,葛西萬司學士に設計を依頼した處,狭長なる三角地面にも拘はらず地形を巧みに利用した極めて斬新且つ模範的な榮業所が清水組の手によって竣工した。
この新社屋は赤煉瓦二階建,ルネッサンス式の建築で,安田家一般の黒塗土蔵造りの従来の型を破ったものであり,日本銀行始め附近の建築物其他と配合宜しきを得た。又同業會社としても,當社の二階會義室を以て恰好の集會所となし,多くの會合は専ら此處で開かれた。
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♪東京火災保険株式會社が日本橋區西河岸第二十一號地から同區北鞘町一番地に新築移転したのは,明治39年[1906]8月1日のことでした。その時に発行された「東京火災保険株式會社新築落成移轉紀念」と題する絵葉書がありました。
♪この絵葉書で注目したいのは,切手が左上隅に貼られていることです。「我社望楼ヨリ遥ニ宮城ヲ拝ス」と書かれています。英語でも「The view seeing the Imperial palace from the tower of the office building」とあります。望楼からは,外濠に架かった常磐橋や日本橋一帯も見えたことと思われます。
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♪辰野金吾は,日本銀行本店と東京驛(中央停車場)という歴史的な建築物を残しましたが,東京火災保険株式會社の社屋も記録に残しておきたい建物のひとつです。辰野金吾の建築家としての造形の一端を見ることができます。まわりの自然に溶け合った建築の美しさを感じさせます。心惹かれます。
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♪辰野金吾と苦学を共にした曽禰達蔵も歴史に残る建築物を多数設計しました。慶應義塾大学図書館旧館,慶應大学病院予防医学教室は曾禰達蔵の設計によります。小笠原伯爵邸は,大江戸線・若松河田駅の近くにあり,現在は,レストランに改装されています。また昭和9年(1934)7月に音羽に新築された大日本雄辯會社講談社の社屋も,曾禰達蔵が設計しています10)。講談社は木下凞によってまとめられた「木下文書」が保管されていた場所でもあります。
♪西岡 暁氏(吉祥寺病院医師)によると「曽禰達蔵の三女・載子は、三宅秀の孫(四女・松の長男)仁田勇の妻」とのことです。
♪音羽通りに面して,昔ながらの面影を残している講談社の近くの護國寺に辰野金吾,曾禰達蔵,片山東熊の恩師であったコンドルは,眠っています。コンドル先生にとっては,唐津藩も長州藩も関係なく,教え子達の「赤煉瓦」の建築物が,新しい時代のなかに融合し,役立っていることを喜んでいるのではないでしょうか。
参考文献・図書
1)『赤レンガの東京駅 その保存・復元に向けて』(森まゆみ編 谷根千工房
1988[2012復刊])
2)『日本博士伝』:工学博士辰野金吾君
3)『工学博士辰野金吾傳』(白鳥省吾編 辰野葛西事務所刊 1926)
4)『東京駅の建築家 辰野金吾伝』(東 秀紀著 講談社 2002)
5) 『明治大正建築寫眞聚覧(建築學會創立五十周年記念展覧會出陳)』(建築學會)
6) 横浜正金銀行東京支店建築概要.長野 宇平治著.土木建築工事画報 3(2):22-26, 1927.
7)『東京火災保険株式會社五十年誌』(志津野眞二編 1938)
8) 実例:東京火災保険株式會社建築工事:「家屋建築実例 第1巻」 [辰野金吾ほか 須原屋(明治41年)(近代デジタルライブラリー)]
9)『日本之名勝』(史傳編纂所刊 1900)
10)『講談社の歩んだ五十年』(明治・大正編 昭和編 全2冊)(講談社社史編纂委員会編 1959)
(平成25年6月27日 記す)(令和3年(2021)3月24日 追記)