119.染井の書棚より:遠野行き(柳田國男と井上通泰)

医学図書館 1993;40(1):118-121.

 

🌲遠野へ行ったのは、平成4年(1992)8月3日のことでした。夏休みを利用して、東北地方の宮古・盛岡へ行く途中、『遠野物語』で有名な遠野で一泊することにしました。遠野は南部藩の宿場町、城下町でした。民話の故郷でもあります。

🌲車で民話の里を目指しました。東北自動車道の北上江釣子インターチェンジをおり、国道107号の山道を三陸海岸に向かって、だだひたすら下りました。途中の山道を抜けると青く澄んだ田瀬湖が見え、遠方には早池峰山、「遠野物語」の世界に導かれ、山神様の風を感じました。

🌲遠野へ行くまでは、気がつかなかったのですが、『遠野物語』を書いた柳田国男の次兄が,眼科医で、歌人・国文学者としても有名な井上通泰(みちやす)であることを知り、このエッセイにまとめました。

長兄:松岡 鼎(1860-1934)(医師)

次兄:井上通泰(1866-1941)(眼科医・歌人)

柳田国男(1875-1962)

次弟:松岡静雄(1878-1937)(軍人)

末弟:松岡映丘(本名輝夫)(1881-1938)(日本画家)(東京美術学校教授)

 

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「遠野物語」で有名な柳田國男(民俗学)の先祖、松岡佐仲は字儀輔、本名勇と言い、京都に苦学し、吉益南涯(1750-1813)(吉益東洞<1702-1773>の長男)に古方医学を学んだ人物です。

柳田國男の次兄は、眼科医で有名な井上通泰(みちやす)(1866-1941)で弟には、画家の松岡映丘(えいきゅう)がいました。

松岡家は代々、医家の家系で、母(たけ)の実家尾柴家も医者を業とした旧家でした。

長兄:松岡 鼎(1860-1934)(医師)

次兄:井上通泰(1866-1941)(眼科医・歌人)

柳田国男(1875-1962)

次弟:松岡静雄(1878-1937)(軍人)

末弟:松岡映丘(本名輝夫)(1881-1938)(日本画家)(東京美術学校教授)

 

 

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遠野市(Google earth )

千葉家曲がり家

とおの物語の館

 

 

千葉家曲がり家

 

 

 

(令和4年6月9日 記す)