(承前)
♪雑誌『日本醫事新報』誌上に、連載「東都掃苔記」を執筆した杉野大澤の本名は、安西安周(あんざい・やすちか)(1889-1969)(医史学者)です。そのことを,自らの師である木村博昭のお墓を掃苔するときに明らかにしています67)。
♪木村博昭(1866-1931)は,浅田宗伯(あさだ・そうはく)(1815-1894)の晩年の門人で,大正から昭和にかけて町医として流行した漢方医でした。安西安周は,大正末期から昭和6年(1931)まで,木村博昭について,浅田宗伯の医術の伝授を受けたとのことです。
♪安西安周が収集した明治初年の医学資料は,現在,国立教育政策研究所教育研究情報センター教育図書館に安西安周文庫(特殊コレクションの一部)として所蔵されているようです。閲覧には,予約などの手続きが必要なようですが,一度,手続きを進め,安西安周文庫に,どのような資料が収蔵されているかを,確認してこようと思います。「東都掃苔記」に登場した医家の伝記的資料も含まれているのではないでしょうか。訪問が楽しみです。
東京都千代田区霞が関3-2-2 中央合同庁舎 第7号館 5階・6階(03-6733-6536)
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Googe My Map医家墓所掃苔録(染井霊園・雑司ヶ谷霊園・谷中霊園)
染井霊園
雑司ヶ谷霊園(製作中)
谷中霊園(製作中)
「東都掃苔記」(51-100)(『日本医事新報』誌の連載記事より一覧表を作成)
人物 | 所属・専門 | 墓所 | 位置 |
51) 岡田 和一郎 | 東大耳鼻咽喉科講座の開祖 | 染井霊園 | 一種四號七側 |
51) 岡田 清三郎 | 横田氏,岡田家の養嗣子となり和一郎の長女和子を配す。 | 染井霊園 | 一種四號七側 |
東大青山内科,千葉醫科大學,名古屋帝國大學教授 | |||
52) 田口 和美 | 日本解剖學會の會頭,大學教授解剖學教室を主宰 | 染井霊園 | 一種イ一號十四側 |
52) 田口 硯臣 | 千葉醫専の解剖學教授 | 染井霊園 | 一種イ一號十四側 |
52) 加藤 照業 | 本郷瘋顛病院長 | 染井霊園 | 一種一號二十側 |
53) 須田 経哲 | 名々堂眼科(春日町) | 染井霊園 | 一種イ一號七側 |
53) 須田 哲造 | 細井氏,初代の長女イソと婚す 廣島病院兼井学校長 | 染井霊園 | 一種イ一號七側 |
内田氏,東京醫學専門學校教授(眼科) | 染井霊園 | 一種イ一號七側 | |
54) 阿久津 資生 | 湯島の佐藤順天堂醫院創立功労者の一人 | 染井霊園 | 一種ロ6號五側 |
54) 阿久津三郎 | 東大,順天堂泌尿器科科長,私立阿久津病院 | 染井泰宗寺 | |
55) 大瀧 富三 | 順天堂創立功労者の一人 | 染井霊園 | 一種八號三側 |
55)大瀧 潤家 | 東大卒,駒込病院醫局員,順天堂内科醫長 | 染井霊園 | 一種八號三側 |
56)高 良齋 | シーボルト門下 | 染井霊園 | 一種三號一側 |
56) 坪井 信良 | 幕末蘭學大家坪井信道の養子,人類学者坪井正五郎の父 | 染井霊園 | 一種八號六側 |
56) 小峰 茂之 | 王子脳病院(滝野川西原),小峰病院 | 染井霊園 | 一種四號二十側 |
57) 川上元治郎 | 日本眼科學會創立者の一人,「日本醫事新報」の創刊者 | 護國寺 | 文京區音羽 |
57) 桂 秀馬 | 侍醫 | 護國寺 | 文京區音羽 |
57) 桂 秀三 | 護國寺 | 文京區音羽 | |
58) 高山 正雄 | 東大卒,福岡醫科大學教授(法医學) | 染井霊園 | 一種十二號三側 |
58) 菅野 徹三 | 済生學舎卒,阿久津三郎博士の長兄 | 吉祥寺 | 駒込 |
58) 田中苗太郎 | 外語濁語卒,帝大醫科卒,軍醫,鹿児島病院長(外科) | 染井霊園 | 一種十二號一側 |
59) 梅錦 之丞 | 東京大學醫學部卒,醫學部講師と第一醫院眼科主任 | 延壽寺 | 足の神さまの寺,台東區上三崎南町七六 |
59) 井上達也 | 大學東校卒,東京駿河台井上眼科病院の創設者 | 大龍寺 | 北區田端町 |
60) 大谷 周庵 | 熊本・長崎醫學校に奉職,侍醫,赤坂の自宅で開業 | 講安寺 | 豊島區巣鴨庚申塚停留所の近く |
60) 疋田復次郎 | 東京帝國醫科大學卒,廣島病院長 | 護國寺 | |
60) 右田 朝子 | 井上達也の養子,済生學舎卒,井上眼科病院長 | 大龍寺 | 北區田端町 |
61) 宮本 叔 | 駒込病院長 | 雑司ヶ谷霊園 | 一種十八號三側 |
61) 山本 景行 | 海軍軍醫,横須賀海軍病院長 | 雑司ヶ谷霊園 | 一種九號二側 |
62) 小池 正直 | 陸軍軍醫監 | 雑司ヶ谷霊園 | 一種二號二側 |
62) 大塚 蘭渓 | 茨木病院長 | 雑司ヶ谷霊園 | 小池家の隣り |
63) 弘田 長 | 東京帝國大學醫科大學・小児科學教授 | 雑司ヶ谷霊園 | 一種十四號七側 |
63) 荻野 吟子 | わが國最初の女醫 | 雑司ヶ谷霊園 | 五號廿四側 |
64) 濱田 玄達 | 濱田病院の創設者,日醫新會長 | 雑司ヶ谷霊園 | 一種二號十一側 |
64) 中濱東一郎 | 中濱万次郎の長男,福島醫學校教授,岡山・金澤病院長 | 雑司ヶ谷霊園 | 一種十五號 |
65) 林 春雄 | 福岡醫大教授,東大教授(薬理學),公衆衛生院長 | 雑司ヶ谷霊園 | 一種十六號九側 |
65) 上林 豊明 | 皮膚科土肥教授門下,飯田橋に近い江戸川端に開業 | 雑司ヶ谷霊園 | 一種十四號十一側 |
66) 下瀬謙太郎 | 陸軍軍醫監,十九代陸軍軍醫學校校長兼教官 | 染井霊園 | 一種ロ十二號 |
66) 狩野 武十(燕汁) | 東大眼科狩野信一助教授の先考 | 雑司ヶ谷霊園 | 二十號七側 |
67) 加藤 弘之 | 東大総長文學法學博士 | 雑司ヶ谷霊園 | 四號三側 |
67) 加藤照麻呂 | 東大医学部卒(小児科)宮内省侍醫 | 雑司ヶ谷霊園 | 四號三側 |
67) 木村 博昭 | 浅田宗伯晩年の門人,安西安周の師 | 雑司ヶ谷霊園 | 十九號七側 |
68) 吾妻 勝剛 | 東大卒(産科婦人科),木下博士門下,京大教授 | 本妙寺墓地 | 豊島區巣鴨四丁目 |
68) 楠田 譲蔵 | 兵庫醫學校卒,淡路に開業,濱町病院(産科婦人科) | 谷中霊園 | 甲四號一側 |
68) 伊東 徹太 | 東大卒(皮膚科),千葉醫専教授(皮膚花柳病學担任) | 谷中霊園 | 甲八號九側 |
69) 本間 貞佐 | 漢蘭折衷派の大成者本間棘軒の男 | 谷中霊園 | 甲八號十二側 |
69) 増山 守正 | 南湖院長高田畔安博士の実父 | 谷中霊園 | 甲新十六號四側 |
70) 三浦 守治 | 東大病理學教室最初の主任教授 | 谷中霊園 | 甲二號三側 |
70) 坪井 為春 | 坪井信良の義兄弟 | 谷中霊園 | 甲二號八側 |
71) 遠田 澄庵 | 明治11年,神田表神保に脚気病院(洋方と漢方)の漢方 | 日蓮宗本立寺 | 雑司ヶ谷霊園近く |
71) 江馬 春熈 | 駿河台脚気病院(洋方家) | 蓮光寺 | 文京區蓬来町 |
72) 中島 一可 | 解剖學者,大學東校卒,陸軍二等軍醫正 | 蓮光寺 | 文京區蓬来町 |
72) 山田 椿庭 | 伊澤蘭軒門下 | 蓮光寺 | 文京區蓬来町 |
72) 青山 景通 | 青山胤通の先考 | 蓮光寺 | 文京區蓬来町 |
73) 緒方 洪庵 | 史跡指定,森鴎外の追賁碑あり | 高林寺 | 駒込蓮光寺墓地の隣寺 |
73) 岡 了節(節齋) | 江戸侍醫で小児科の名家岡櫟仙院一族の墓 | 高林寺 | 駒込蓮光寺墓地の隣寺 |
74) 森 鴎外 | 鴎外森林太郎一家の墓 | 禅林寺 | 中央線三鷹駅の南方 |
74) 佐藤 應渠 | 曾津藩に種痘を初めて輸入した人 | 浅草正覚寺 | 池上本門寺域 |
75) 司馬 凌海 | 明治5年わが国最初の濁和対訳の字書を刊行 | 青山霊園 | 一種イ六號四側 |
75) 山根 正次 | 司馬凌海の春風社の門下,醫政家,醫事衛生・醫學教育 | 青山霊園 | 一種ロ八號警視廳墓域 |
76) 櫻井郁二郎 | 産科婦人科専門矢の倉の櫻井病院の創立者 | 青山霊園 | 一種二十一號十四側 |
76) 柳井 貴三 | 櫻井病院に一生を捧げる | 青山霊園 | 櫻井家の墓地に接して背中合せにある |
77) 木下 熈 | 木下正中の先考 | 青山霊園 | 一種二十一號十六側 |
77) 木下 正中 | 産科婦人科の泰斗 | 青山霊園 | 一種二十一號十六側 |
78) 荒木寅三郎 | 京大総長,学習院院長 | 立的塚 | 群馬県安中町字板鼻の小丘 |
79) 井上豊太郎 | 麹町區飯田町の東京眼科病院院長 | 青山霊園 | 一種一號十九側 |
79) 高橋 傳吾 | 愛知醫専教諭 | 眞珠院墓地 | 小石川傳通院西側 |
80) 松本 順 | 近代日本醫界の元勲 | 妙大寺 | 大磯 |
80) 太田 雄寧 | 蘭疇門下の秀才,「東京醫事新誌」の創刊者 | 浄榮寺 | 牛込薬王寺町 |
81) 庄司秋次郎 | 千葉醫専卒,眼科開業医,静的学者肌の書斎人 | 建長寺 | 北鎌倉 |
81) 内田 孝蔵 | 明々堂眼科の前院長須田卓爾博士の実弟 | 東慶寺 | 北鎌倉驛より程近く |
82) 唐澤 光徳 | 慶大小児科教授 | 青原寺 | 中野區昭和通り |
82) 柴田 元泰 | 江戸幕醫の唖科 | 青原寺 | 中野區昭和通り |
83) 清川 菖軒 | 蘭門の五哲のひとり | 妙源寺(もと本所) | 葛飾區堀切 |
83) 森 枳園 | 蘭門の五哲のひとり | 洞雲寺 | 池袋(三ノ一六〇五) |
84) 杉田 玄端 | 杉田立卿の養子,蕃書調所教授手傳 | 青山霊園 | 一種イ一號 |
84) 杉田武・雄・盛・六蔵 | 杉田雄は杉田つる博士の先考 | 青山霊園 | 一種イ一號 |
84) 前野 良澤 | 蘭学開祖 | 慶安寺 | 杉並區堀の内一ノ一三七 |
84) 中川 淳庵 | 観臓三先哲のひとり | 金剛寺 | 中野區上高田二の三一一 |
(落合火葬場の裏側) | |||
85) 大槻 盤水(玄澤) | 「重訂解體新書」を完成,「蘭学階梯」を刊行 | 東禅寺墓域 | 下高輪 |
85) 大槻 盤渓 | 盤水の男 | 東禅寺墓域 | 下高輪 |
85) 大槻 如電 | 盤水の孫 | 東禅寺墓域 | 下高輪 |
85) 宇田川槐園 | 蘭學の名醫宇田川家 初代 | 多磨霊園 | 第五區乙五側 |
85) 宇田川榛齋 | 蘭學の名醫宇田川家 二代 | 多磨霊園 | 第五區乙五側 |
85) 宇田川榕庵 | 蘭學の名醫宇田川家 三代 | 多磨霊園 | 第五區乙五側 |
85) 坪井 信道(誠軒)注) | 伊東玄朴・戸塚静海と共に幕末蘭方三大家 | 多磨霊園 | 第五區乙三側(宇田川家墓の近く) |
86) 柴田 洛南 | 江戸末期の唖科名醫 | 総泉寺 | 板橋區志村 |
86) 菊池 康庵 | 秋田佐竹藩の侍醫 | 総泉寺 | 板橋區志村 |
87) 田村 春吉 | 前名古屋大學総長 | 眞光寺 | 大田區南六郷一ノ一七 |
88) 平野 革谿 | 多紀桂山の門 | 妙國寺 | 南品川 |
88) 新井春次郎 | 慈恵醫大の解剖學教授 | 青松寺裏の墓地 | 港區 |
88) 古賀玄三郎 | 東京市築地林病院,盛岡市盛岡病院外科部長,北里研究所 | 清正公で有名な寺 | 港區 |
89) 松山 棟庵 | 福沢諭吉の主治醫 | 漕渓寺 | 港區古川橋近く |
89) 松山陽太郎 | 松山病院の二代院長,慈恵醫大名誉教授 | 漕渓寺 | 港區古川橋近く |
89) 三輪信太郎 | 小児科延壽堂病院長(神田) | 小石川傳通院 | |
90) 千葉彌次馬 | 帝國大學醫科大學卒業,開業(眼科),土肥・呉・宮入と同期 | 永吉千葉邸つづきの小丘 | |
90) 内藤 隆一 | 牛込柳町に眼科専門で開業 | 十念寺 | 福島懸須賀川市税務所通り |
91) 橋本 綱常 | 初代の陸軍省醫務局長,醫科大學教授,日本赤十字社病院長 | 長谷寺 | 麻布笄町,永平寺東京別院長谷寺 |
91) 橋本 綱維 | 大阪鎮台病院長 | 麟祥院墓地 | 文京區役所本郷出張所の隣 |
92) 瀬川 昌耆 | 東大卒,宮城醫學校長,本所の江東病院,駿河台の小児科病院長 | 青山霊園 | 一種イ五號 |
92) 尼子 四郎 | 鹿児島醫學校卒,富士川博士と同期,「醫學中央雑誌」を設立 | 一音寺 | 文京區本郷東片町一〇八 |
93) 太田 三郎 | 福島醫學校出身,郡山太田綜合病院の創設者 | 善導寺墓地 | 病院前の寺 |
93) 鈴木万次郎 | 福島醫學校出身,神田神保院の開設者 | 郷社の裏 | 故郷須賀川諏訪町 |
94) 橋田 邦彦 | 開戦当時の文相,東京帝國大學教授醫學博士 | 浄心寺 | 文京區蓬来町 |
94) 小泉 親彦 | 元厚相(陸軍軍醫中将) | 青山霊園 | 一種イ十一號七側 |
95) 木下 藤一 | 土肥慶蔵博士の最初の助手,本郷千駄木に木下皮膚科病院を開設 | 興善寺 | 文京區初音町 |
95) 加治時次郎 | 「ドクトル加藤時次郎」,平民病院,平民食堂を主唱創設 | 池上本門寺 | 五重塔のもと |
95) 小川劍三郎 | 東大卒(眼科),池之端小川眼科病院の創立者 | 多磨霊園 | 十三區甲種廿一側 |
96) 宇都野研 | 東大卒,本郷の小児科院長 | 多磨霊園 | 十二區甲種一側 |
97) 石阪 堅荘(秋朗) | シーボルト門下の一人,石阪桑亀の男 | 多磨霊園 | 十區甲六側 |
97) 石阪 惟寛 | 石阪桑亀の孫,第三代軍醫学校長,第六代醫務局長 | 多磨霊園 | 十區甲六側 |
97) 鈴木 重道 | 海軍軍醫,横須賀海軍病院長 | 多磨霊園 | 十五區甲十五側 |
97) 鈴木寛之助 | 海軍軍醫,金澤醫専卒,海軍軍醫学校長 | 多磨霊園 | 三區乙八側 |
97) 鈴木 裕三 | 海軍軍醫,呉海軍病院長 | 多磨霊園 | 三區甲八側 |
98) 川島 震一 | 胃腸病院長,博士の夫人は平山金蔵博士の息女 | 多磨霊園 | 三區甲三十四側 |
98) 平山 金蔵 | 胃腸病院長,長與称吉博士の歿後院長 | 多磨霊園 | 六區甲五側 |
98) 神保孝太郎 | 胃腸病院副院長,神保消化器病院(水道端) | 多磨霊園 | 十四區甲十側 |
99) 山川章太郎 | 東大青山内科門下生,東北帝國大學教授(内科) | 多磨霊園 | 三區甲九側 |
99) 柿沼 昊作 | 東大青山内科門下生,岡山醫科大學教授,東京帝國大學教授 | 多磨霊園 | 十二區甲十六側 |
100) 宇野 朗 | 樂山堂病院長(浅草小島町) | 常林寺境内 | 駿州三島 |
100) 清野 一學 | 富士山麓上野の旧家(第十二代の眼科醫) | 大石寺 | 富士山麓にある日蓮宗本山の一つ |
100) 清野 勇 | 東大第一回卒,岡山縣病院長・醫學校長,大阪府醫學校長 |
注)85)坪井信道(誠軒)の墓石は、現在、染井霊園にあります。
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「東都掃苔記」(51)から(100)までの文献一覧(PDF)
51)「東都掃苔記(51)」岡田家の墓・岡田先生遺徳碑・岡田清三郎先生記念碑:『日本醫事新報』第1633号,p.46.(昭和30年8月13日)
52)「東都掃苔記(52)」田口家の墓・加藤家の墓:『日本醫事新報』第1634号,p.68.(昭和30年8月20日)
53)「東都掃苔記(53)」須田氏の墓:『日本醫事新報』第1635号,p.62.(昭和30年8月27日)
54)「東都掃苔記(54)」阿久津資生翁の墓・阿久津三郎博士の墓:『日本醫事新報』第1636号,p.50.(昭和30年9月3日)
55)「東都掃苔記(55)」大瀧家の墓・大瀧潤家博士の墓:『日本醫事新報』第1637号,p.66.(昭和30年9月10日)
56)「東都掃苔記(56)」高良齋の墓・坪井信良の墓・小峰茂之博士の墓:『日本醫事新報』第1638号,p.46.(昭和30年9月17日)
57)「東都掃苔記(57)」川上元治郎氏の墓・桂父子の墓:『日本醫事新報』第1639号,p.54.(昭和30年9月24日)
58)「東都掃苔記(58)」高山正雄博士の墓・菅野徹三氏の墓・田中苗太郎博士の墓:『日本醫事新報』第1640号,p.54.(昭和30年10月1日)
59)「東都掃苔記(59)」梅錦之丞先生の墓・井上達也先生の墓:『日本醫事新報』第1641号,p.52.(昭和30年10月8日)
60)「東都掃苔記(60)」大谷周庵翁の墓・疋田復次郎氏の墓・女醫右田朝子の碑:『日本醫事新報』第1642号,p.48.(昭和30年10月15日)
61)「東都掃苔記(61)」宮本 叔博士の墓・山本景行総監墓:『日本醫事新報』第1643号,p.48.(昭和30年10月22日)
62)「東都掃苔記(62)」小池家累代の墓・大塚蘭渓の墓:『日本醫事新報』第1644号,p.46.(昭和30年10月29日)
63)「東都掃苔記(63)」弘田長先生の墓・女醫荻野吟子女史の墓:『日本醫事新報』第1645号,p.46.(昭和30年11月5日)
64)「東都掃苔記(64)」濱田玄達先生の墓・中濱東一郎博士の墓:『日本醫事新報』第1646号,p.54.(昭和30年11月12日)
65)「東都掃苔記(65)」林家の墓・上林博士の墓:『日本醫事新報』第1647号,p.50.(昭和30年11月19日)
66)「東都掃苔記(66)」下瀬家の墓・鹿野氏の墓:『日本醫事新報』第1648号,p.50.(昭和30年11月26日)
67)「東都掃苔記(67)」加藤家の墓・木村博昭の墓:『日本醫事新報』第1649号,p.54.(昭和30年12月3日)
68)「東都掃苔記(68)」吾妻家の墓・楠田譲蔵氏の墓・伊東徹太博士の墓:『日本醫事新報』第1650号,p.56.(昭和30年12月10日)
69)「東都掃苔記(69)」本間貞佐翁の墓・増山守正翁の墓:『日本醫事新報』第1651号,p.66(昭和30年12月17日)
70)「東都掃苔記(70)」三浦守治博士の墓・坪井為春翁の墓:『日本醫事新報』第1652号,p.66.(昭和30年12月24日)
71)「東都掃苔記(71)」遠田澄庵の墓・江馬家の墓:『日本醫事新報』第1653号,p.32.(昭和30年12月31日)
72)「東都掃苔記(72)」中島一可の墓・椿庭山田翁の墓・青山景通之墓:『日本醫事新報』第1654号,p.88.(昭和31年1月7日)
73)「東都掃苔記(73)」緒方洪庵夫妻の墓・岡家の墓:『日本醫事新報』第1655号,p.85.(昭和31年1月14日)
74)「東都掃苔記(74)」鴎外の墓・佐藤應渠の墓:『日本醫事新報』第1656号,p.62.(昭和31年1月21日)
75)「東都掃苔記(75)」司馬凌海の墓・山根正次の墓:『日本醫事新報』第1657号,p.64.(昭和31年1月28日)
76)「東都掃苔記(76)」櫻井郁二郎院長の墓・柳井貴三翁の墓:『日本醫事新報』第1658号,p.66.(昭和31年2月4日)
77)「東都掃苔記(77)」木下家の墓:『日本醫事新報』第1659号,p.60.(昭和31年2月11日)
78)「東都掃苔記(78)」荒木鳳岡の墓:『日本醫事新報』第1660号,p.64.(昭和31年2月18日)
79)「東都掃苔記(79)」井上豊太郎一家の墓・高橋傳吾博士の墓:『日本醫事新報』第1661号,p.50.(昭和31年2月25日)
80)「東都掃苔記(80)」蘭疇松本順一家の墓・太田家の墓:『日本醫事新報』第1662号,p.50.(昭和31年3月3日)
81)「東都掃苔記(81)」庄司秋次郎博士の墓・内田孝蔵博士の墓:『日本醫事新報』第1663号,p.52.(昭和31年3月10日)
82)「東都掃苔記(82)」唐澤家の墓・柴田長松の墓:『日本醫事新報』第1664号,p.54.(昭和31年3月17日)
83)「東都掃苔記(83)」清川家の墓・森枳園の墓:『日本醫事新報』第1665号,p.66.(昭和31年3月24日)
84)「東都掃苔記(84)」杉田家の墓・前野蘭化先生の墓・中川淳庵先生の碑:『日本醫事新報』第1666号,p.64.(昭和31年3月31日)
85)「東都掃苔記(85)」大槻家の墓・宇田川家の墓・坪井誠軒の墓:『日本醫事新報』第1667号,p.68.(昭和31年4月7日)
86)「東都掃苔記(86)」柴田家の墓・菊池康庵の墓:『日本醫事新報』第1668号,p.54.(昭和31年4月14日)
87)「東都掃苔記(87)」田村名大総長の墓・平野革谿一家の墓:『日本醫事新報』第1669号,p.68.(昭和31年4月21日)
88)「東都掃苔記(88)」新井春次郎夫妻の墓・古賀玄三郎博士の墓:『日本醫事新報』第1670号,p.68.(昭和31年4月28日)
89)「東都掃苔記(89)」松山棟庵一家の墓・三輪信太郎博士の墓:『日本醫事新報』第1671号,p.64.(昭和31年5月5日)
90)「東都掃苔記(90)」千葉彌次馬の墓・内藤隆一の墓:『日本醫事新報』第1672号,p.58.(昭和31年5月12日)
91)「東都掃苔記(91)」橋本家の墓:『日本醫事新報』第1673号,p.64.(昭和31年5月19日)
92)「東都掃苔記(92)」瀬川昌耆夫妻の墓・尼子四郎翁の墓:『日本醫事新報』第1674号,p.64.(昭和31年5月26日)
93)「東都掃苔記(93)」太田三郎翁の墓・鈴木家の墓:『日本醫事新報』第1675号,p.60.(昭和31年6月2日)
94)「東都掃苔記(94)」橋田家の墓・小泉家の墓:『日本醫事新報』第1676号,p.64.(昭和31年6月9日)
95)「東都掃苔記(95)」木下藤一翁の墓・加治時次郎翁の墓:『日本醫事新報』第1677号,p.50.(昭和31年6月16日)
96)「東都掃苔記(96)」小川劍三郎博士の墓・宇都野家の墓:『日本醫事新報』第1678号,p.62.(昭和31年6月23日)
97)「東都掃苔記(97)」石阪家の墓・鈴木三海軍軍醫の墓:『日本醫事新報』第1679号,p.52.(昭和31年6月30日)
98)「東都掃苔記(98)」川島家の墓・平山家の墓・神保孝太郎博士の墓:『日本醫事新報』第1680号,p.56.(昭和31年7月7日)
99)「東都掃苔記(99)」山川章太郎教授の墓・柿沼昊作教授の墓:『日本醫事新報』第1681号,p.50(昭和31年7月14日)
100)「東都掃苔記(100)」宇野家の墓・清野家の墓:『日本醫事新報』第1682号,p.52.(昭和31年7月21日)
(平成22年7月7日 雨の七夕の日に記す)