♪メールで高崎俊夫氏(映画評論家)から映画の制作に「江戸東京医史学散歩」にアップしてあるニコライ堂の絵葉書を借用したいとの連絡をいただきました。
♪「ヒロインの少女が戦前へとタイムスリップし,晩年の北原白秋が入院している杏雲堂病院を見舞う場面」があって,北原白秋の心象風景として,杏雲堂病院から見えるニコライ堂が写った絵葉書を使用したいという内容でした。
♪さらに日本橋,東京駅,銀座,浅草など,戦前の東京を記録した絵葉書も映画のアニメーション部分の制作に参考になりそうだということでした。
♪東京の戦前の絵葉書をGoogleマイマップ「絵葉書で見る隅田川十九橋とその周辺」のなかで公開していたことが幸いしたようです。クランクインも迫っているということで,JR駒込駅前のアルプス洋菓子店の2階の喫茶室でお会いして絵葉書の現物を見ていただくことにしました。・・・
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♪雑談のなかで,「ドクトルジバコ」「ミクロの決死圏」「白い巨塔」など医療に触れた映画が好きだとお話すると川端康成が原作を書いた『狂った一頁』(新感覚派映画連盟/1926年度作品)という大正末期に制作された無声映画について教えてくださいました。「脳病院」を舞台にした1920年代のアヴァンギャルドの代表作品ということでした。
♪あとで知ったことなのですが,高崎俊夫氏は,映画評論家で映画関係の書籍の編集者でもあり,「高崎俊夫の映画アットランダム」(清流出版)という連載記事を執筆されている方なのでした。
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♪川端康成は,震災後の大正13年(1924)に東京帝國大學國文學科を卒業し,映画『狂った一頁』の原作を書いた大正15年(1926)は,松林秀子(青森県八戸出身)との結婚生活に入った年にあたります1)。
♪川端康成は、学生時代から,浅草には銀座と違った「きたない美しさ」という美意識を持っていて,のちに『浅草紅團』『浅草の九官鳥』『浅草祭』など浅草ものの作品を残しています。浅草蔵前の親戚(母方の従兄)をたよって上京したのが,大正6年(1917)のことで,この年の9月に第一高等学校に入学しています。映画街として知られる浅草公園(六区)にもよく出かけたようです。震災で倒壊する前の凌雲閣(十二階)があったころです。そのころから機会があったら映画の原作を書きたいと思っていたのかもしれません。
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♪映画『狂った一頁』は,ソフト化される計画もあったようですが,DVDは見つからず,YOUTUBE上に公開されているものを観ることができました。
『狂った一頁』(新感覚派映画聯盟第一回作品)
監督者 衣笠貞之助
主演者 井上正夫
原作者 川端康成
配光 内田昌夫
撮影補助 円谷英一 注1)
注1)特殊撮影の第一人者となる円谷英一(本名)は,のちに英二と名乗る。
配 役
小使 井上正夫
妻 中川芳江
娘 飯島綾子
青年 根本 弘
医師 関 操
狂人A 高勢 実
狂人B 高松 恭助
狂人C 坪井 哲
踊り子 南 栄子
♪無声映画で字幕もなく,映像だけで映画の内容を理解するしかありません。物語は,狂って「脳病院」に入院中の妻のために小使となって病院に住み込み妻を看る夫と家族の苦悩を描いています。娘の結婚問題の中で,狂った妻のために夫としてなにをしたらよいのか,妻を強制的に病院から連れ出すことも考えます。しかし,妻は,暗闇の中,「脳病院」から出ることを拒絶します。夫は,医者をなぐり殺してでも妻を連れ出すことを試みるのですが,それらは,全て夢なのでした。夢から覚めた夫は,「脳病院」での小使としての日常の生活に戻ることになります。病院の廊下を掃除する場面で映画は終わります。
♪映像からだけでは物語の繋がりがよくわかりません。原作を探してみました。幸い古本屋から岩波ホールで上映された際に編集されたパンフレットを入手することができました。2)注2)
♪そのなかに詳しい原作が載っていました。それによると,原作には,制作当時より映像となっていない場面(●印)があることがわかりました。
([注2] 原作は『川端康成全集』3)に収載されている)
♪夫が妻を虐待して,その結果,妻が脳病院に入院することになったという経緯は,原作をみてはじめて知ることができました。
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□原作にあって映像にない場面
- 明るい洋室.時計,8時を打つ.娘,後ろ向きに立って雨合羽を着る.青年,テーブルで悪戯書きをしていたが,振り返って娘を見る.娘,露台へ出る窓を開いて,外を眺める.
- 船員時代の生活の情景,二,三.当時,妻を虐待した小使い.妻を棄てて放浪した彼が,立ち寄った港や町.
- 青年の明るい洋室.誰もいない.その部屋の美しい花束が,娘と青年との明日の結婚を物語っている.
□原作にはなく映像にある場面:脳病院内での作業療法(封筒貼り)の場面
♪脳病院の門,看護婦との院内散歩,病室内での医者の診察,院内花壇,作業場での封筒貼り,手鎖の女性患者,外国人医師,医務室と炊事場,鉄格子の病室など,脳病院内の情景が物語の背景として映し出されます。とくに患者が封筒貼りをする場面はリアルに表現されています。2カットありました。
(1) 脳病院内の封筒貼りの作業療法場面
(2) 脳病院内の封筒貼りの作業療法場面
(女性患者が手鎖されている次のカット)
♪それでは,封筒貼りの場面は,原作ではどのように書かれているのでしょうか。調べてみることにしました。しかし,原作には記述がありませんでした。原作とは関係なく映像が挿入されたようです。
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♪衣笠貞之助は,はじめ映画の舞台をサーカス一座とする予定だったそうですが,それを「脳病院」に変更したのは,ある体験からでした。横光利一の家を訪ねたときに,駅頭で見た異様な光景が脳裡に焼き付いていたようです。次のように懐古しています4)。
「・・・わたしが駅頭で見かけたのは,ある高貴な方の一行であった。この高貴な方が精神病にかかられているということは,ひそひそ話で人はすでに耳にして知っていたことだったが,このご旅行中の一行にも,どこか常ではない,おかしなところがあった。・・・その印象が,わたしにいろんなことを考えさせたのである。・・・狂気の人が劇的な成因となってドラマの大きな要素となることを考えて,ともかく精神病院を見学してみようと,そう思いついたのであった。」(「『狂った一頁』の実験―新感覚派映画連盟時代」)4)
♪衣笠貞之助は,誰の紹介状も持たずに,当時,精神病院として有名であった松澤病院を取材するのですが,その時のことを,次のように書いています。4)5)
「行ったのは,そのころはまだ東京の郊外であった世田谷の松沢病院である。ここには,そのころ話題の「葦原将軍」という患者のいることで,その名が一般にもよく知らせていた。何の紹介ももたず,縁故もなく訪ねたわたしを,医長さんはくまなく案内して,いちいちていねいな説明をあたえてくださった。いまから思っても,ほんとにありがたいことであった。『狂った一頁』について,その方面の人からも,わりあいに正しく狂気の患者の生態を描いてある,めだったまちがいはないと言ってもらえたのは,そのおかげであったにちがいない。」(「『狂った一頁』の実験―新感覚派映画連盟時代」)4)
「その時,東京の松沢脳病院で取材した記憶は今でも鮮明だ。幾棟かに隔離された病棟には,施療あり,重患あり.水風呂に入っている者,一糸まとわぬ若い女,鉄板の個室の真中に突っ立って,虚ろな眼で空間を見つめている老女.自分の糞尿に,細かく引き裂いた浴衣をかけ,小切れで隅々まで拭き掃除している男.大の字に寝ている者.封筒をそ知らぬ顔で貼っている者,個室の中を,何か口走りながら歩き廻っている者など,気の毒で,二目とは見られなかった.当時,有名な誇大妄想狂,葦原将軍は,2,30人もいる大部屋の隣の3畳で4,5匹の子猫を飼っていた.・・・」(<シナリオ>狂った一頁■監督のことば)5)
参考文献
1)『川端康成』(新潮日本文学アルバム 16)(新潮社 1984)
2)「<シナリオ>狂った一頁 監督のことば」:『衣笠貞之助 狂った一頁/十字路』(上演パンフ)(岩波ホール 高野悦子編 1975)pp.30-33.
3)「狂った一頁」:『川端康成全集第二巻』(全35巻版)(新潮社 1980)pp.387-418.
4)「『狂った一頁』の実験―新感覚派映画連盟時代」:『わが映画の青春 日本映画史の一側面』(衣笠貞之助著 中央公論社 1977)pp.57-82.
5)『狂った一頁』始末」(衣笠貞之助著):『衣笠貞之助 狂った一頁/十字路』(上演パンフ)PP.8-9.
(平成26年9月23日 記す)(平成30年3月9日 追記)